「釘の先」眞鍋吳夫
私は「山廬」と名づけられた蛇笏の写真が大好きである。昭和三十三年四月八日、まだ残雪に蔽われた「後山」のゆるやかな斜面をとぼとぼと歩いている蛇笏のうしろ姿を写したスナップであるが、私はこのスナップを見るたびに、二つの事を思い出す。
その一つはそれから数十年後に発表した小句、
露の戸を突き出てさびし釘の先
(『俳句』昭和55年5月号「茎の石」より)
その他が、ほかならぬ蛇笏の後継者龍太から「鋭い感覚をそれと意識しないで生みだした句にちがいない。そこに無垢の詩情が生きた」という過分な評価を享け得た事であり、今一つは、芭蕉が「さびしさをあるじなるべし」と書き遺している事である。
そういえば、谷川雁は世界の現在の惨状に対抗して「連帯すれば、孤立しても仕方がない」と云って死んだが、私は「常民の一人一人が〈さびしさをあるじ〉としなければ真の連帯は生まれない」と考えている。又、アイデンティティは「自己同一性」と訳すだけではなく、「相補的自己同一性」と訳すべきだと中村雄二郎は言う。即ち、私が「俳句は反戦でも非戦でもなく、不戦だから不敗なのである」と信じる所以である。
「『月魄』の成果」 金子兜太
好きな作品のなかの五句を左に。
寒月光澄むといへども檻の中
釈迦入寂 行年八十
象のごとこの世の露を振りかへり
月に煙る雀隱れに還らばや
殘されて土筆光の暈を帶び
靑き夜の猫がころがす蝸牛
眞鍋吳夫氏は、自身の情念の濃い内奥を練りに練って俳句に書き込んできた。いわば自己表現につとめて、当句集『月魄』では、ここに挙げた五句のような、私なりに象徴の域にありと受取れる作品を創り出しておられる。この指向と成果を多としたいと思う。
しかも、その練り上げた濃い情念の底で、当歳九十の、いわば戦中世代の戦時体験が厳しく噛みしめられていることに、同世代の私は胸打たれていた。私のように大声で表現することはないが、静かに深く伝えて止まないのだ。たとえば、「ノモンハン事件より六十年後の遺骨收容」と前書しての左句のように。
鐵帽に軍靴をはけりどの骨も
「宇宙的孤独」 大峯あきら
眞鍋吳夫氏の『月魄』からは、他の候補者の場合には見られない濃い詩情が感じられた。詩情といってもたんなる叙情性という意味ではない。いわば無限の宇宙の中にたった一人おっ放り出されている人間の本質的な孤独感といったものである。社会的孤独ではなく宇宙的孤独といったらよいか。
死者あまた卯波より現れ上陸す
襤褸市の隅で月光賣つてをり
天上も祭のごとし春の雪
種藏のざわめくけはひ月の出か
月の富士あはれ崩落續きをり
戸袋の闇を濃くして蟲すだく
初凪のめくれて白き波ひとつ
姿見にはいつてゆきし螢かな
これらの句には、いわば月光を浴びたような作者の影がくっきりと出ている。「あとがき」で作者がいう「太陽よりも月のほうが好きな夜行動物」の影である。現代俳壇にはなかなか見つからない、この純粋で普遍的なポエジーを推したい。
「『月魄』と鎮魂」 有馬朗人
今年の蛇笏賞に、私は全くのためらいもなく、眞鍋吳夫さんの『月魄』を推した。眞鍋さんの俳句については、一九九二年に刊行された『雪女』以来着目してきた。『雪女』については読売新聞に書評を書かせてもらった。この『月魄』は二〇〇二年以後の六年間の作より僅か二百十三句という厳選であることも良い。
蛤の舌だす闇の深さかな
さびしさに煙吐きけむ鬼ふすべ
鷹老いて吹きわけらるる胸毛かな
のような自然詠も佳いが、何と言っても
死者あまた卯波より現れ上陸す
約束の螢になつて來たと言ふ
骨箱に詰めこまれゐし怒濤かな
轟沈のあとはことなき月夜かな
我はなほ屍衞兵(かばねゑいへい)望の夜も
去年今年海底の兵光りだす
の如き戦死者への鎮魂の句に打たれたのである。眞鍋さんは今年一月で九十歳、更なるご健吟を祈っている。
「『月魄』の光芒」 宇多喜代子
眞鍋吳夫さんの俳句には、白昼に真正面からものを見ているという向日的でわかりやすい句は少ない。〈ひと粒もこぼさず露の箒草〉〈淡雪や蓋のずれたるマンホール〉〈湧水の砂のかすかに動きをり〉などはこの作者にして珍しく、物を大きく出した好句だが、『月魄』には、心中にある見えない何かをものに託した句にこの作者固有の俳句がみられる。
船蟲の水より淡き影を曳き
秋風に蹠(あなうら)見せて歩む象
靑鷺の膝の水皺(みじわ)に日がかすれ
蚤しらみ生者に移る月夜かな
靑き夜の猫がころがす蝸牛
など。心中にある何かとは日の真下では見えないもの、光芒のように読者にとどくものだ。これを言葉にして俳句にとどめようとすることは至難なこと。そこを大小の生きものの本性に暗示的に語らせる掲句を含む『月魄』の句は、象徴としてのものや景のとらえようが的確で、あまたの句の前にゲリラ的に現れた感を抱かせた。