「思いがけないこと」文挾夫佐恵
このたびは、思いもよらず「蛇笏賞」をいただくこととなり、唯々びっくりいたしております。九十九歳の(自分ではまったくそうは思っておりませんが)もう先の短い私に、このような立派な賞をお与え下さいました選考委員の皆様方の御決断に、まず感謝と御礼を申し上げます。
そして、第七句集『白駒』を編集して下さいました角川学芸出版の皆様方にも御礼申し上げます。
飯田蛇笏先生には、昭和十七年、『雲母』に投句を始めました時からの御縁がございました。今回、まだこの世にとどまっておりますうちに、「蛇笏賞」を賜りますことは、まことに嬉しく、ありがたいことでございます。
関東大震災、第二次世界大戦、夫の出征、東京大空襲、身内の死など、振り返れば結構、波乱の人生だったように思います。しかしこの世代の者としましては、それでもずいぶん思うように好き勝手なことをしてまいりました。拙句に〈凌霄花(のうぜん)のほたほたほたりほたえ死〉(『井筒』)がございます。「蛇笏賞」という最高の栄誉をいただきましたおかげで〈ほたえ死〉することなく、倖せな一生となりました。
これからも身の丈にあった句作を続けていけましたらと思っております。どうもありがとうございました。
「選考感想」 金子兜太
文挾夫佐恵句集『白駒』を推したのは、白寿の作者を励ます気持からなどではまったくない。年齢を超えて、作品そのものが感銘を呼ぶからであって、作品の完成度が高く、気合と格調を、ときに諧謔を込めて美しく韻(ひび)かせていた。
あな踏みし華奢(きやしや)と音してかたつむり
老い痴れて魑魅魍魎と春惜しむ
天降(あも)り来し天衣をまとふ白牡丹
虫の音の募るは命終(みやうじゆう)告げるにや
まくなぎか老い責むるもの何ならむ
そして今次大戦を切に生き永らえて、いまも厳しく嚙みしめている。重厚である。
兵なりき死ありき星辰移り秋
ながらへて春の闇濃し地にいくさ
艦といふ大きな棺(ひつぎ)沖縄忌
身は古りてかの夏の日の海は在り
今回の蛇笏賞選考に当って、従来になく問われていたのはこの賞の受け皿を若い層にひろげよ、ということだった。老壮世代に傾きすぎるという批判が、更に声高(こわだか)になっているのである。
若い照井翠『龍宮』の世評はかなり高く、俳壇外からの注目もある。たしかに新鮮で、若い作者は自由に振舞っている。しかし私は時期尚早を主張した。理由は蛇笏賞は、その作者の作風が決まってきたときの秀句集を対象とすべし、と考えているからで、代々の選者も同じだったとおもうのだが、慎重にすぎたことは事実だった。
照井句集の若々しい意欲は分かる。しかし〈喪へばうしなふほどに降る雪よ〉とか〈三・一一神はゐないかとても小さい〉などと滑りすぎるのが気になる。純度あれど集約度脆し。次を待ちたい。
「信念の句集」 宇多喜代子
文挾夫佐恵さんが充実の句集『青愛鷹』を出されたのが七年前である。あらためて初期からの句を通覧すると、人間として当然あるべき感情や批判精神を不動の軸として打ちこみ、そこに折々の年齢に見合った歳月の景を注ぎつつ今に至る句業を継続してこられたことがよくわかる。人間にも草木にも魑魅魍魎にも同等の眼差しを注ぐ。『白駒』はそんな信念に裏打ちされた句集である。
戦前に〈炎天の一片の紙人間(ひと)の上に〉と赤紙一枚で人間を攫ってゆく理不尽を残し、『白駒』では、先の戦災による三月十日(東京大空襲)の死者にも、一昨年の三月十一日の死者にも重なるいのちの行方を、
三月や大きな忌日また一つ
と悼む。
物言はず瓦礫と化せし雛あらむ
春の雪君失せたるは野か海か
なども、普遍性を持ちつつ、震災の句と読める。
鳶の描く残らぬ図形秋日和
凌霄花(のうぜん)の終の一花の今落つよ
秋の蟇人に後(うしろ)を見せにけり
矢車草古へよりの風に乗り
新しき今年の梅に出会ひけり
など、折々の沈思をかたちをもつ花鳥の霊性を見据えるところでとらえた句が、ゆたかな作品世界を生む。
候補にあがった句集を討議する過程で、受賞者の年齢が問題になったが、文挾夫佐恵九十九歳はそんな論議の埒外にある。むしろ、百歳なんなんたる朝夕にあって、生の日、老いの日の境地の軽量のいずれをも引き受けてくれる俳句という短い詩形に、あらためて大きな力を感じたことであった。
願わくは、こののち、九十九歳の子世代、孫世代、曾孫世代に瞠目の句集が浮上することだ。
「俳壇最高の賞にふさわしく」 片山由美子
候補となった五冊の句集は全く異なる方向を目指しているのが印象的だった。それは現代俳句の多様性そのものといえる。その中で、私は『黙礼』を第一に推した。タイトルのとおり、静かな世界である。しかし、一句一句から作者の確かな声が聞こえてくる。
山なみの一つ秀でて麦こがし
朝はいつもこの瀬音より青酸橘
冬すみれこころのうちの日なたにも
木々もまた年長けてゆく白露かな
雨となり雨の木となり春祭
こうした淡々とした作品は、心を鎮めて読まなければ、森の泉のように透明な響きを聞き取ることができない。無欲で気品のある世界である。ここにこそ、他の文学や文芸と違う俳句ならではの世界がある。
神戸で阪神淡路大震災に遭遇した友岡氏は、東日本大震災に人一倍心を痛め、被災地を訪ねた。一連の作品には、自身の体験と重なる深い思いがこめられている。それが『黙礼』という集名となった。友岡氏の俳人としての良心を感じさせる句集である。
受賞作『白駒』は、潔さを感じさせる文挾氏の俳句への姿勢に感銘を受けた。今期に刊行された句集の中で最も注目すべき一冊であろう。九十代の俳人の、前例のない充実した作品が並ぶ。
綿虫の死しては白き光失す
むらさきの遠はけぶらふ花菖蒲
枯山水よりも吉野の花の谿
天降(あも)り来し天衣をまとふ白牡丹
白靴を履けば佳きことあるごとし
老いや生死を詠んだ句が少なくないのは当然ながら、華やぎにも似た作品がちりばめられていることに瞠目した。俳句が、一生をかけて追求すべき文芸であることを示す、象徴的な賞の決定であった。
「一歩前進」 長谷川 櫂
まず文挾夫佐恵さんにお祝いを申しあげます。
さて蛇笏賞はどうあるべきか。蛇笏賞とは本来、その年の最高の句集に授与されるべきものです。功労を評価するとしても、それは俳句を肥やす「俳句への功労」であって「俳壇への功労」ではありません。そして「俳句への功労」とは結局、作品しかありません。
こうした賞のあるべき姿からみると、最近の選考には問題があります。ひとつは選考委員が委員をやめてすぐ受賞すること。これは賞の信頼性を損ないます。
つぎに受賞者の年齢が高すぎること。蛇笏賞は「ご苦労さんでした」とさしあげるものではなく、受賞後、一仕事も二仕事もやっていただきたい。ところが現状はそうなっていません。その結果、受賞者の中から選考委員を選ぶことさえできなくなっています。五十代の人にさしあげてもいい。俳句は年をとるほどよくなるのではなく年代ごとの輝きがあるからです。
私は照井翠さんの『龍宮』を推しました。それは句集として優れているからです。東日本大震災をテーマにした句集と思われていますが、ほんとうは震災に翻弄される人間を詠んでいる句集です。〈唇を嚙み切りて咲く椿かな〉〈双子なら同じ死顔桃の花〉のように。
照井さんは被災地岩手の人ですが、震災の惨状を説明し報告するのではなく、震災の悲惨が俳句として昇華されています。〈喪へばうしなふほどに降る雪よ〉〈虹の骨泥の中より拾ひけり〉のように。
照井さんは五十歳です。今まであまり知られていなかった人です。その資質が大震災に直面して一気に花開いた。二〇一二年を代表する句集として俳壇が外に送りだすのに、これほどふさわしい句集はありません。
以上が私が選考会で述べたことです。蛇笏賞の壁はいまだ厚く、受賞はできませんでしたが、二〇一二年を代表する句集であることに変わりはありません。