「俳句力」高野ムツオ
受賞の知らせを受けたのは渋谷駅であった。喧噪の中、私は時間が逆回転し、来し方が渾然となる不思議な感覚にとらわれながら携帯電話に耳を傾けていた。渋谷は私が大学生時代を過ごした地である。時代の波に溺れまいと必死に藻搔いていた青春時代から今日までの歳月が一気に胸中を駆け巡ったのであった。
『萬の翅』には爾来三十年以上を経た、五十代後半から六十代前半の句を収めた。振り返れば、この十一年もさまざまな変転の波間を藻搔きに藻搔いてきた歳月であった。五年前の病は私の肉体が私に与えた試練の大波であり、三年前の大津波は、大自然がこの国のすべての人にもたらした艱難であった。それは無数の命を奪い、無数の人々を悲しみの底に突き落とした。同時に生きるとはどういうことか、人間はもう一度考え直せとの自然からのメッセージでもあった。
もともと俳句は無用の芸文。無力なのは自明である。俳句が何の力になるはずもない。だが、少なくとも私に限って言えば、そのたった十七音の言葉が、想像を超えた圧倒的な現実とそこに生きる自分を見つめる唯一の手立てとなった。そして、それは私に生きる力をも吹き込んだ。
そうしたささやかな営為を、このたびは蛇笏賞という輝かしい波の上に掲げて頂いた。これまで支えて下さった多くの方にただただ感謝するばかりである。
「揺らぎのない力の句集」 宇多喜代子
今回は、深見けん二の『菫濃く』と高野ムツオの『萬の翅』の二冊受賞となった。第十七回以来のことである。甲乙つけがたいのではなく、どちらもが何物にも凭(もた)れぬぶれのない軸の力で自立していることに対し、それぞれを称える二人受賞となった。どちらの句集も「今日」への眼差しをもっている点で共通しているのだが、深見けん二の句の淡い強さには、一朝一夕にはできぬ滋味があり、魂鎮めの力を感じさせた。
睡蓮や水をあまさず咲きわたり けん二
だんだんと富士へ近づく初電車
人生の輝いてゐる夏帽子
仰ぎゐる頰の輝くさくらかな
など、清新な句境がそのまま出ていて、気持ちがいい。
年ごとの虚子忌や春ごとの初桜の句などが年々の感慨を伝え、ことさらな事件のない淡さの力を存分に伝える清楚な句集であった。
過去十一年間の句から成る高野ムツオの『萬の翅』もまた、今年度の収穫であった。その間に師の佐藤鬼房の死、自身の咽頭癌手術、東日本大震災などの大事に出遭っている。
細胞がまず生きんとす緑の夜 ムツオ
代田一面癒えよと星を宿すなり
など、病気に直面した際の句である。
もう闇でなき闇のあり大旦
寒鯉が頭を星空へ突き出しぬ
三年前の三月十一日、高野ムツオの住む東北に稀有な災害が襲いかかった。変わりない時の運行が急に止まる。それを日常の線上でとらえ、
泥かぶるたびに角組み光る蘆
みちのくの今年の桜すべて供花
など、当日の時間を縦軸にしてかの大事を俳句に書き残した。
お二方に大きな拍手を送りたい。
「静と動」 片山由美子
今回は全く対照的な二冊が最終候補となった。一冊にしぼるべく長時間にわたって討議を続けたが、四人の選考委員の意見が一致せず、最終的に『菫濃く』と『萬の翅』の両句集の受賞ということで決着した。
『菫濃く』の深見けん二氏は、写生という伝統的な方法により、自然とともに生きる実感を詠み続けてきた。その作品は平明だが平凡からは遠い。
桐一葉吹かれて音を立てにけり
寒木の声ともなりて風の音
大方の枝見えて来し落葉かな
かすかな音やけはい、そして季節の移ろいに心を寄せたときに見えてくる世界。
菖蒲湯に沈みてよりの雨の音
戸を閉めに立てば近くの除夜の鐘
火を使ふ頃ともなりて水を打つ
日常のささやかなことが、しみじみとした味わいとなって心に響いてくる不思議。俳句とは、そもそもこうした感慨を掬い上げるところによろしさがあったのではないか。自然に対する謙虚さが、作品の純度となっている。
深見氏の静に対して、『萬の翅』の高野ムツオ氏は動の作家である。みずから混沌を抱え込み、困難に立ち向かおうとするエネルギーを感じさせる。『萬の翅』は自身の闘病と、東日本大震災という二つの体験が大きな柱となっている。
瓦礫みな人間のもの犬ふぐり
車にも仰臥という死春の月
万の手に押され夏潮満ちてくる
などの震災詠は、それ以前の作風との明らかな違いを感じさせる。六十代の受賞者は久々のことであり、今後の活躍や次の句集への期待も大きい。
最善の選考結果であったと思う。
「最短定型詩形との取組み」 金子兜太
高野ムツオ句集『萬の翅』については、すでに今年度(平成二十五年度)の読売文学賞と小野市詩歌文学賞を受けている上に、他にも優れた句集が今年も多い。それを優先させるべし、との意見も強かったが、五七調最短定型としての俳句の、この傑れた詩形と諸(もろ)に取組んで、独自の成果を示しつつある句集があれば、それを優先させるべし、と考えて、小生はこの句集を推した。
高野ムツオは東北地方は多賀城市の人。この句集は、平成十四年から二十四年までの十年数ヶ月の作品を収めているが、平成二十三年三月十一日を転機に大きく充実した。それまでは、
冬の暮一物資として坐る
人間に戻りてプールより上がる
といった実験風な、いささか気障(きざ)な作が多かったのだが、臭みが消えてにわかに充実したのだ。
四肢へ地震ただ轟轟と轟轟と
春光の泥ことごとく死者の声
津波這う百日過ぎてやませ這う
等々。それまでの稚拙ながら懸命な営みが、この大災害に諸に立ち向かえる地力をつけてくれていた、と小生は見るのである。———この人の師の佐藤鬼房もこの詩型と取組んでいた人だった。そして、その「素朴」は本物だった。見過ごしにしないで欲しいと願う。
「二人の意義」 長谷川 櫂
今回の蛇笏賞の意義について書いておきます。
高野ムツオさんの『萬の翅』は東日本大震災を詠んだ句集の一つです。高野さんは宮城県多賀城の人であり、ここで大震災に遭遇しました。受賞の大きな意義は大震災以来、数多く詠まれた震災詠を俳壇が正当に評価したことです。
大震災当時、文学にかかわる人々の間で「言葉は無力である」とか「大震災は俳句に詠むべきではない」という議論が沸きおこりました。これに対して今回の蛇笏賞は「言葉は無力でない」「大震災も俳句の対象になる」という明確な結論を出したことになります。
高野さんの受賞のもう一つの意義は、戦後生まれの人がやっと蛇笏賞を受賞したことです。六十六歳、いわゆる団塊世代の一人です。これは蛇笏賞としての確かな前進といわなくてはなりません。選考委員として今後はさらに五十代まで視野に入れた選考を進めてゆきたい。
深見けん二さんは若くして高浜虚子の教えを受けた人です。いわば虚子の最後の弟子であり、写生の本道を日々実践している人です。『菫濃く』が受賞した最大の意義はここにあります。というのは雑誌『俳句』も蛇笏賞も、虚子とその「ホトトギス」に拮抗する勢力として創られたという経緯があるからです。
しかし半世紀近くが過ぎ、その看板はすでに意味を失っています。これからは互いのわだかまりを捨てて俳句という一つの土俵の上で、いい句はいいと認め合う。これが実現すれば俳句はもっと豊かになるはずです。深見さんの受賞はそこへいたる大きな一歩です。
深見さんは関東大震災の前年の生まれ、現在九十二歳。その句の静かなたたずまいを思うと、とうの昔に受賞しているべき人の一人です。今回の蛇笏賞はまさに遅すぎた受賞です。