蛇笏賞・迢空賞

第57回「蛇笏賞」・「迢空賞」受賞作発表
  • 2023.04.24更新
    第57回「迢空賞」受賞作発表
  • 2023.04.14更新
    第57回「蛇笏賞」受賞作発表
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受賞のことば・選評

第49回迢空賞
(該当作なし)

選評(敬称略/50音順)

「歌の大きな節目の年」 岡野弘彦

 今年から来年にかけては、大きな節目のかさなる年である。昭和九十年、そして戦後七十年、それにもう一つ言えば折口信夫が雑誌「改造」に「歌の円寂する時」――いわゆる短歌滅亡論――を発表してから九十年を経る年である。折口はその根拠として三つの理由をあげた。一つは、歌の享(う)けた命数に限りがあること。二つには歌人の人間が出来て居なさすぎること。三つには真の意味の批評が出て来ないことであった。
 折口はこの問題を終生、自分への課題として、生涯歌を作りつづけながら、激しい時代の変化の中で「歌の命」について論を書きつづけた。昭和十三年には「滅亡論以後」を書き、満州における戦争の機運の動く中での戦う者の短歌の動きについて触れ、敗戦後には「所謂『未亡人短歌』の含む暗示」・「女流の歌を閉塞したもの」の二篇を書いて、戦後の女性の歌の興隆に刺激を与えている。
 だが、敗戦後から彼の晩年にかけて、日本語の上に加わっていった、大きな圧力と変化が、これほど短歌の命運の上に重く響いて来るとは、六十三年前に亡くなった折口にも思いおよばなかったことである。
 その変化の重大さが身に沁みはじめたのは、三十年くらい前からだったろうか。ちょうど丸谷才一・大岡信両氏と連句を作る会を持ち始めて、実作を作りながら話はいつも言葉の問題になり、日本語に対する深い危機感をもつ国語学者の大野晋氏の考えを聞いたりもした。だが、結論など容易に得られる問題ではない。
 今回の迢空賞選考が決定を得なかったのも結局はその問題である。熟練を得た歌集で、言葉は熟成し、しらべも調っているが、歌の未来への啓示の力が見えてこない。また一方は新鮮なきらめきは見えるものの今ひと息、心を引き入れられる言葉の力がほしい、と願わないではいられなかった。

 



「来年を期待する」 佐佐木幸綱

 今年は五氏の五歌集が候補にあがったが、「受賞者なし」という残念な結果となった。
  あらはるるかたちにあればわがからだ泣き咽べるにまかせてをりつ
                        『黄鳥』阿木津英
  海照らし日があかあかと昇るとき被災の湾に鳥鳴きわたる
                    『みな陸を向く』秋葉四郎
  敗戦後間もなき頃に使はれし先師が硯小さくつつまし
                         『硯』来嶋靖生
  顔あげて川と気づけり明るさは思はぬ方よりきてしづかなり
                    『さくらのゆゑ』今野寿美
  おさへ込みしづかに内に巻き締めし怒りもありぬ捩花の紅(こう)
                  『標のゆりの樹』蒔田さくら子
 それぞれ持ち味のことなる歌集だが、私は中で、今野寿美『さくらのゆゑ』、秋葉四郎『みな陸を向く』の二冊を推したい、そう思いつつ選考会に出かけた。
 『さくらのゆゑ』の引用作は、気配としての川をうたった歌だが、軽いうたい方ながら、と言うよりも軽いうたい方だからこそ、気配の向こう側にふと人生が感じられて印象深い。何かこう人生の曲がり角を通ろうとしているときのような、気配としかいいようのない自身の人生への思いをただよわせている不思議な作だ。意味や知識で重い歌が多い作者だったが、この歌集では軽いうたいぶりの佳作が多く、それらに惹かれた。
 『みな陸を向く』は、被災地の歌をタイトルにしているが、旅の歌、日常の歌等々、多彩な題材がうたわれている。中で私は引用歌を含めて、日本各地の自然、アラスカ等の海外の自然をうたった歌の、おおらかな調べに注目した。
 来年はどのような歌集がでるか、期待したい。
 



「貰っても貰わなくても」 高野公彦

 迢空賞も今年で第四十九回を迎えた。歴史ある賞であり、受賞者もそうそうたる顔ぶれである。
 今回の迢空賞には五冊の歌集が候補になった。私はそのうちの一冊が受賞に値すると思って推し、他の選考委員の中にもこれを推す人がいたが、全員の賛同は得られなかった。推す、といっても積極的評価と消極的評価があって、なかなか複雑である。反対に、対象の歌集を評価しないという意見でも、この歌集はとうてい賞に値しないという場合と、あまりいい歌集とは思えないが、自分以外の委員が全て推すならこれが受賞作になっても構わない、という場合もある。
 各委員の評価が錯綜し、意見が飛び交い、選考は三つ巴ならぬ「四つ巴」となって、結局受賞作なしということに決まった。残念だが仕方がない。
 今まで受賞作なしは、たった三回である。第二十四回(平成二年)と第二十七回(平成五年)、第三十回(平成八年)である。そのころは評価が厳しく対立したのかもしれない。
 話は変わるが、むかし子規、漱石、鴎外などは賞を貰っているだろうか。調べたわけではないが、明治大正のころは賞がなかったように思う。
 そして茂吉、晶子、白秋なども受賞していないのではないか。せいぜい茂吉が文化勲章を貰ったぐらいであろう(この勲章は歌集への賞ではない)。
 いま短歌関係の賞はいっぱいある。あっていいが、あり過ぎて、たとえ受賞しても大して話題にならないことが多いようだ。まあ賞を貰うとすれば一応めでたいことだから、それはそれでいいし、また、貰わなくても別に評価が下がるわけではないから気にする必要もないであろう。人に押し付けるわけではないが、私自身は「貰っても貰わなくても歌人かな」という考えで過ごすのが気楽でいい、と思っている。

 



「つくづく歌は難しい」 馬場あき子

 今回の迢空賞は、選考委員の長時間にわたる討議の中でも、相互に納得できる該当作を選出することができず、見送られることになった。残念ではあるが、過去にも三回程、該当作なしの年があり、当時の選考委員が委曲をつくして選後の言葉を述べておられる。
 今年もノミネートされた作品は数冊上がっており、その一冊一冊が、それぞれの歌人の今日までの作歌活動の経緯を負った達成点を示すものであった。しかしまた、その意味においての共通する完結性が、それぞれにちょうどの安定した風体の安らかさをもち、それゆえにかえって歌の力を印象づけられない点があったかと思われる。
 迢空賞候補となるような歌集はその作品の支持者や愛好者も多いが、それぞれの作風や一冊を通しての主張にはかなりの違いがある。いずれが是、いずれが非ということではない。今日のように表現も多岐に分かれ、言葉人の感性も多彩になっている情況の中で、大切なことは、歌人の言葉のもつ力とは何かということであろう。
 以下は今回の選考とは関係ない私個人のひとりごと的なものだが、平凡な言葉を非凡に変える力とは、単に言葉の修練によるものだけではないだろう。作者という存在の厚みから生まれる、作者のいまの感を表出しうる言葉や事柄を、一首に据えられるかどうかという心の力によるもののようだ。そしてそれは、独特固有のものでありながら、さらには一般の感銘を呼ぶものであることが理想である。こうしたことは誰しもが詩歌の歴史を通して学んできたことでもある。
 歌人の歳月は深い。今回の迢空賞該当なしは、全くのなしではなく、おそらくまたの機会を得るであろうことを期しているものだと考える。

 


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