大島史洋
高校生のころから短歌を作りはじめて、今年で五十六年になる。長い時間を作り続けてきた。
父のすすめで「未来」に入会したが、その父も去年亡くなった。父と同年生まれだった近藤芳美もすでに亡い。入会以来、親しくしていただいた先輩歌人のほとんどがすでに亡く、岡井隆氏だけが健在である。岡井さんの存在の向こうに、昔の懐かしい雑誌の雰囲気を思い出したりしている。まさしく老人の心境である。
受賞の言葉として何を書くか、それを考えるために、昔書いた歌論や受けたインタビューでの発言などを読み返してみた。そして、変わらないようでいても人間は変わるものだなと、あらためて思った。
私は今年で七十二歳になる。もはや若くはない。だから昔のように理想を述べようとは思わない。今のありのままの、中途半端な存在をうたい続けていくしかない。比喩にはたよりたくない。小さな発見に体温のこもった実感を添えて、こつこつとうたい続けていく。それが大事なのだと、今は思っている。
最後に、選考委員の皆様に心より御礼申し上げて、受賞の言葉の終わりとしたい。
ありがとうございました。
「現在の死を歌う歌集」 岡野弘彦
大島史洋氏の歌集『ふくろう』の巻頭に近い作品の中に、
美しき棚田を故郷の景として満蒙に行きし家族五人の目
半島の南端の駅に息絶えし葉山嘉樹、すがる娘の目
という「見る心」と題した十首があって、はっとさせられた。プロレタリア文学初期の人で、私などは中学の寮で舎監の眼を盗んで読まなければならなかった作家の晩年と死を、大島氏の作品で知ったのである。
そして、歌集の巻末近くまで読み進んで、作者が両親の老いと死を詠んだ、思い深い作品の濃密さに出あうことができて、この作者の歌境の深まりを知ることができた。
ふるさとに雪は降るとぞ死にそうで死ねない父を見舞いにゆかむ
認知症の母が死にたいと言いしときそううまくはゆかぬと言いたる父よ
死ねざりし苦も悲もいまはなきごとき父の目に映れ闌干(らんかん)たる星
思えば現在は、幸か不幸か、老いたる者にとって死ぬことが容易でない時代になっている。十代の末から二十代の初期に、幸にも生き残り得た私など、身に沁みてそう思う。
同じ老人の死でも、葉山嘉樹の死と、この歌集の作者の御両親の死には、大きな違いがある。そして、いま九十二歳になろうとする私の死も、作者の歌う御両親の死に近い。六十三年前に私が看取った釋迢空の死は、病因が発見せられてたった三日後のことだった。
この歌集の意義は、現代の死の相(すがた)を親の死の上に見出して、確かに歌ったその深さにあると私は思う。
「ふかく、つらく」 佐佐木幸綱
大島史洋の第十二歌集『ふくろう』が今年の迢空賞に決まりました。年老いた父を通して、「老い」という現代社会の大問題を、ふかく、するどく、つらく、かなしく歌った重い歌集です。読んでいて、読者がつらくなるような作も少なくありません。
父は兄といっしょに故郷の岐阜県中津川に住んでいます。千葉に住む作者は、折々兄と連絡をとり、時々、父を見舞いに中津川に帰ったりしているようです。
退院しいよいよ元気となりし父その因業を兄は伝えて
九十六過ぎて陰口言われおり存在自体がストレスになる、と
ふるさとに雪は降るとぞ死にそうで死ねない父を見舞いにゆかむ
「老い」の現実はきれい事ではすまされません。作者はきれい事ではすまない地点にあえあて踏み込んで、現実を避けずに歌っています。父親のつらく、かなしい老いの現実を、ここまで歌い込むには、文学表現に対する厳しい姿勢が求められます。
認知症の母が死にたいと言いしときそううまくはゆかぬと言いたる父よ
この歌集の奥行は、この作のように、父に対してもまた厳しい見方をしている点でしょう。認知症になった妻にむかって、やさしい言葉をかけるのではなく、あけすけに、身も蓋もない本当のことを言ってしまった父を、残酷な視線で見つめ、表現しています。
他の候補作では、これも「老い」の歌集、春日真木子『水の夢』に注目した。今日までの短歌史にはなかった「おしゃれな老いの歌」が、たくさんある歌集です。一首だけ引用させてもらいます。おしゃれですね。
曼珠沙華はなのをはりて気付きたり畢(をは)りかぎりなく華(はな)に近きを
「想像力、美、凛とした気品」 高野公彦
五冊の候補歌集の中で、私は水原紫苑の『光儀(すがた)』にいちばん魅力を感じた。「光儀」は万葉にある言葉で、表記は特殊だが、意味は「姿」と同じである。
天地狂ふ一日(ひとひ)ののちを愛のみの裸形となれるひとの光儀(すがた)や
この巻頭の一首は、東日本大震災のあと、愛のみを残して世を去った人の姿を思い浮かべている。亡き恋人を思い慕う〈純粋愛〉の歌だと想像される。
如月は生くべき月か鬼すらも雲雀を抱(だ)き天に昇るを
揚げ雲雀を詠んでいる。目に見えぬ鬼が優しく雲雀を抱いて天に昇ってゆく。きれぎれに雲雀の鳴き声が聞こえてくる。その眩しい光景に、作者は天上(神)からの励ましを感じているのだろう。自分の創り出した光景から、救いを、あるいは慰藉を得ている、といってもいい。
さくらばなとどまらざらむ憲法の恣意解釋のきりぎしに舞ふ
断崖に沿って桜の花びらが舞い散り、舞い落ちている。断崖はすなわち、憲法第九条の〈解釈改憲〉を実行した政府の強権であり、散り続ける花びらは国民の生活の崩壊を象徴的にあらわしている。作者の力わざを見せた一首である。
くつろぎて水月を見るくわんおんはくわんおんに在る御身を忘る
これは「夜、寺の建物、観音像、月、池」で構成される情景を創造し、そこから「寺の建物」を消し去った歌である。水に映った美しい月を眺め、うっとりと我を忘れている仏をユーモラスに歌っている。
想像力の豊かさ、美に対する愛着の深さ、表現の質の高さ、など魅力たっぷりの歌集である。生の孤愁を歌っても凛とした気品が漂う。
「終焉をみつめる力」 馬場あき子
この歌集は、死について、また人間はどのように焉(おわ)るのかについて、つくづくと見つめさせるものがある。若き日に互いに知る先輩歌人金井秋彦の葬式に立ち合った時の、容赦ないリアルな描写は、人間の惨たる終焉をこれ以上ないまでに印象づける。
ストレッチャーの上の遺体を横に見て傍らの椅子にてお茶を飲みぬ
神父来て柩の前にて聖書を読むその十数分が葬式なりし
この葬式の前には葬儀社の男ふたりが持ち上げて遺体を柩に入れる場面もある。積年の知友の焉りを描いて、無駄なく、飾りなく、徹底した叙述力である。また無頼をもって任じた石田比呂志の終焉には密かな心寄せの思いをみせて、〈晩年の生きねばならぬ歳月をかくあるべしと言うにあらねど〉ともうたい、翻って自分の父の老身へと思いをめぐらす。
その父は兄が養っていたようだ。兄からは「退院しいよいよ元気となりし父」の「因業」のことを伝えてくる。「因業」という無慈悲なまでにきびしい言葉で表現された父への嫌悪と、血縁深い愛情の矛盾した哀しみを作者は無言で差し出す。父を通して発見し、自覚されたこと、それは「長命とは生き残ること」であり父がそれを「目の当たり見せしめている」という。
この歌集の後半は、この父の長い生涯のはての生を避けがたい現実として納得しようとする姿勢から、その側面に及ぶ描写の一々が心に残るものになっている。
ふるさとに雪は降るとぞ死にそうで死ねない父を見舞いにゆかむ
まだ俺は生きているのか 父の声 夜明けの夢に聞いた気がする
認知症の母が死にたいと言いしときそううまくはゆかぬと言いたる父よ