蛇笏賞・迢空賞

第57回「蛇笏賞」・「迢空賞」受賞作発表
  • 2023.04.24更新
    第57回「迢空賞」受賞作発表
  • 2023.04.14更新
    第57回「蛇笏賞」受賞作発表
蛇笏賞・迢空賞とは 設立のことば 受賞者一覧

受賞のことば・選評

第51回迢空賞受賞
『行きて帰る』(短歌研究社刊)
橋本喜典
【受賞者略歴】
橋本喜典(はしもと よしのり)
昭和3年11月11日、東京生まれ。早稲田大学文学部(国文学専修)卒業。早稲田中・高等学校に勤務。昭和23年、まひる野会に入会、窪田章一郎に師事する。師没後(平成13年)より14年間、「まひる野」編集・運営委員長。歌集は『行きて帰る』のほか9冊。歌書に『歌人窪田章一郎――生活と歌』『短歌憧憬』『続短歌憧憬』『名歌で学ぶ文語文法』など。

受賞のことば

橋本喜典

 この歌集を編集しながらつくづく思われたのは、短歌という詩型は新しい自分を発見する詩型だということであった。
 初学の時代から時には迷いつつも、これが自分の歌だ、これでゆくのだと言いきかせながら、一首一首、一歩一歩と刻んできた。そのような歩みのなかで、新しい自分と出会い、新しい自分を発見したと思われたときのよろこびは譬えようのないものであった。
 選考委員の先生方はそういう私の歩みを「よし」としてくださった。そのことが何よりよりうれしく、お礼を申し上げたい。有難うございました。
 私が能登一の宮に迢空・折口信夫の墓を訪ねお参りしたのは昭和三十八年のことだった。私の先師窪田章一郎は昭和五十四年刊行の第七歌集『素心臘梅』により翌年、迢空賞を受けたが、その秋、能登一の宮に迢空の墓参をして七首の歌を詠んでいる。今の私にはもはや墓参は叶わない。半世紀以上も前の能登の夏空が思いだされる。潮騒の音がきこえてくる。
 遥かなる先生の墓碑に感謝の誠を献げたい。

選評(敬称略/50音順)

「温容ふかき歌」 岡野弘彦

 迢空賞は従来、比較的年齢の若い中堅層の業績ある歌人に贈られることが多かったが、今回は長い作歌歴を持った歌人に受賞が決定した。受賞作は、橋本喜典氏の十冊目の歌集『行きて帰る』である。
 その巻頭近くに、次のような一首がある。
  四月八日先師の歌を諳んじて乗るる項(うなじ)をふたたび上ぐる
先師とは昭和四十二年四月十二日に世を去った窪田空穂で、この歌は空穂が死の五日前に詠んだ絶詠を口ずさんで追悼する歌である。
また、「あとがき」の中に、次のような言葉がある。
 「思えば歌を詠みはじめた初学の日に、『歌は作者という人間と対等のもの』と教えられ、その意味を理解したくて歌の道を歩きつづけた。途中、幾たびとなく私なりの答えを得ながら、いつしか七十年近くを過ごしてきた。それは『行きて帰る』の果てしない繰り返しだったのだ。そう思ったとき、私はみずからの作歌人生に限りない幸せを感じたのである。」
この初学の日の教えも、窪田空穂先生の口から出たものであったろう。私は折口信夫の晩年に折口に連れられて、窪田先生のお宅の二階の先生の部屋でお目にかかったことがある。その温容が今も忘れられない。
  柳田國男が『雪国の春』を書きしころの言葉の力思はざらめや
  逢ふことのもはやあらじと言ふひとに心底(した)思へども逢はむと言へり
  相次ぎて仏となりし教へ子に彼岸の花は何を選ばむ
心深い歌の多い、歌集である。

 



「人生の奥行き」 佐佐木幸綱

 今年の迢空賞は、三枝昻之『それぞれの桜』、橋本喜典『行きて帰る』二歌集のどちらか、という心づもりで選考会にのぞみました。あえて順番をつけるならば『それぞれの桜」が一位かなとの心づもりでした。
  〈白樺は一言一句贅文なし〉青けれどよき大正の夢
  白樺美術館は朽ちたる夢の続きだろうここにきて人は夢と向き合う
                      三枝昂之『それぞれの桜』
 たとえば「清春白樺美術館」に取材したこのような作があります。白樺派の文学運動を大正時代の夢ととらえることで、夢と無縁な現代文学の世界を反照する批評性に注目しました。「宣言一つ」に見られるような理想主義的な人間の生き方は、現在、純文学という呼称が消え去ったように跡かたも無く消え去ってしまいました。かつての「夢」にあえて光を当てることで、現在がふとクローズアップされる。したたかな批評性だと思います。
 『行きて帰る』は米寿の歌集。人生の奥行きを感じさせ、「老い」が円熟であり達成であることを、久々に思い出させてくれる好歌集でした。
  郵便をポストに落としもうすこし歩かうと小さき決断をする
  あこがれは行きて帰るの心なり谺はかへる言霊もまた
                   橋本喜典『行きて帰る』
 戦後七十年が経ち、私たち日本人も若さに価値を置くアメリカ文化にすっかり染まりきってしまい、だれもが若さを価値として生きるようになりました。少しでも老いが遅く来るようにブレーキをかけつつ生きる、これが当たり前になりました。そんな中でこの歌集は、断固として、かつ、たんたんと老いを引き受け、人生の奥行きの深さをさり気なくうたいあげることで、「老い」が円熱であることを示してくれています。

 



「明るさ、しなやかさ、向日性」 高野公彦

 歌集『行きて帰る』には、作者八十四歳から四年間の作品が収められている。ご高齢であるが、作品は老いの現実を率直に歌い、ときに悲哀感を帯びることはあっても、多くの歌は明るさと、しなやかさと、向日性を備えている。
  牡蠣鍋に味噌をおとして味見してお手塩(てしょ)に柚子の黄金(こがね)を絞る
  鳥の来て去るまで枝を移りつつ一切無駄のなき仕草なり
  春爛漫 呼吸器にそれは楽だから寡黙な人にならうと思ふ
  郵便をポストに落としもうすこし歩かうと小さき決断をする
 一首目から三首目までは、健康な食欲、現実を見る確かな目、人をくすぐるようなユーモアを感じさせる。四首目は用事が済んだあと、そのまま健康のために散歩を続けようという意志的な歌である。
  終(つい)の日まで揺れ定まらずあらむともわが生き来しをわれは是とせむ
  信仰をもたざるわれは棄つることもとより知らずその苦しみを
  三月十日十一日は熱かつたらう苦しかつたらうと悲しむ日なり
揺れつつ迷いつつ生きてきた自分の人生を最終的に肯定する心のありようは、窪田空穂に通じるものがあろう。また、棄教者の苦悩を思う歌も、東京大空襲と東日本大震災を簡潔に詠んだ歌も印象深い。
  フェルメールのマグネットもて約束のメモを貼るなり約束たのしき
こんな楽しい歌もあって、橋本作品の幅の広さを改めて感じさせられた。

 



「より人間的な生への問い」 馬場あき子

 この歌集は肺気腫に冒された平成二十四年から四年間の歌がまとめられた著者の十冊目の歌集である。著者は太平洋戦時下の青春に結核を患って兵士の資格をもたぬ「不忠者」呼ばわりをされて以来、さらに幾つもの重篤の病を体験し、生死の境を浮沈しながら、長距離走者の力量をもって今日の歌境を拓いてきた。
  釘の痕掌(て)になしといふ句のありて折々われは手の平を見る
           (萬緑やわが掌に釘の痕もなし 山口誓子)
  大津波に吞まれし子らと撃沈されし対馬丸の子らと悲(ひ)は異なるや
                   (疎開学童八百名が海に沈んだ)
  不具合をながく生ききてそれなくば得ざりし智恵は虹のごとしも
  人間の鎖一か所欠けてゐてこのわれいまだかしこを埋めず
  聞こえると妻言ふ鳥の囀りのきこえず八十六歳の朝
 窪田章一郎の師風を承けた作風は平明であるが、病弱を侮(あなど)られて生きた戦時の青春以来、体験し、見尽してきた歴史の中の生を、一人の人間の証言として、うたっておきたいという志向を感じさせる。六〇年安保の機動隊にあって行動せず失職した筑波杏明をうたった一連、太平洋戦時下の学生の日々をうたった一連など特殊なテーマであるが心魅かれるものだ。また戦後の家族生活をうたった長歌など、自ずとした心のあふれであろうが散文的内容とともに印象に残る。
こうした一連は決して単なる回想ではなく、むしろ今日の生き方に直に示唆的であることを願ってのものであろう。著者の眼や言葉はごくふつうの日常を材としながらも、静かな温かさがあり、生きるとはどういうことかを問おうとする思いが濃密である。

 


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