三枝浩樹
「たとえ明日、世界が滅亡しようとも今日私はリンゴの木を植える。」マルチン・ルターのこの言葉は神への信頼と希望が背後にあってこその言葉でしょう。歌の言葉もこのように最後まで存続するものでありたい。十代の後半から歌を詠み始めて半世紀余り、歌の言葉は感情を汲み上げ、感情をかたどる真にありがたいものでした。歌が感情に添いながら、感情よりも次第に経験に添うようになってきているのを、いつの頃からか感じるようになりました。
感情以上に、経験との親和性が増してきていること。生きること、人生とか生活に歌の言葉が近づいて、そこから感じえたものを歌の言葉に汲み上げる。歌とは次第にそういうものに思えてききました。
空穂の晩年の歌集『去年の雪』から二首を引きます。
消えやすき心の波の消えぬ間(ま)と語(ことば)もて追ふこころ凝らして
一つ感一息(ひといき)をもて言ひ敢へむ歌あり歌の形の尊(たふと)
歌の形式を信頼し、経験から滲出する感に心を凝らす姿がここにあります。迢空賞は遥か彼方の賞。この歌集を選んで下さった選者の先生方にお礼申し上げます。ありがとうございました。
「心深くすぐれた挽歌」 岡野弘彦
今年度の迢空賞は、三枝浩樹氏の『時禱集』と決定した。その巻頭近くに「窪田空穂記念館」と題する一連の作品が収められている。
私は敗戦の翌年から迢空の家に入って、その没年まで常に身近に居た。窪田さんのお宅を迢空が訪ねた時も、従って行って両先生の会話を、身に沁む思いでうかがったことを思い出す。迢空も二十年近くも身近に置いて歌と学問を教え、出征して硫黄島に配属されると、養子嗣とした折口春洋(はるみ)を戦死させている。同じく戦争で一子を失った年上の窪田さんに、特別の深い思いがあったに相違ない。
三枝さんの歌集を読んでいて、そのことを思い出さずには居られなかった。作者の年齢から言えば当然のことだろうが、心深くすぐれた挽歌の多い歌集である。
きみが手を離れ幾時(いくとき)を刻みしや止まれる時計ひそと今日あり
戦場のみ子に宛てたる手紙なり親のこころのかなしきを読む
届かざりし手紙なりきと言う聞けばあわれは深しこの親ごころ
更にこの歌集を読んでゆくと、身近な人の死を悼む歌、あるいはその老いを詠んだ秀歌が多かった。
死のかげの谷をあゆめる長身のきみにひとすじ光(かげ)をたまえな
生き方のつたないきみが好きだった ひかりの秋となる昼つ方
歳月のなかにしずみてゆく母をふとゆりおこす今朝のやまなみ
この作者も、そして私自身も、心深い挽歌を、わが身に添えて思い沁むべき日を生きているということであろうか。
「大きな自然を大きく」 佐佐木幸綱
今年の迢空賞は、三枝浩樹『時禱集』に決定しました。第五歌集を刊行してから、なんと十六年ぶりの第六歌集だそうです。近年は、三、四年に一冊のペースで刊行される歌集が多い中で、長い時間的蓄積があるだけ、ずっしりと重みのある充実した歌集になっています。
雪雲の大きな翳が占める森ひえびえとひとつひとつの木あり
うかぶがに高く聳ゆる今朝の山雪を被(かず)ける春の稜線
甲州の大きな自然を大きく表現している点が第一の魅力です。短歌では大きくうたうというのがなかなか難しい。その難しさを乗り越えての佳作が多く見られます。広々とした自然のたたずまいが、ゆったりとしたリズムで表現されていて、甲州の雪雲や、稜線までも詠める点がすばらしい。
カウンセリングといふふかふかの手編みかな春浅き手をつつみて出でぬ
百葉箱のような人生という比喩がほんのり浮かぶ そうでありたい
作者は山梨県の高校の英語教師を長くつとめました。そんな事情で学校関係の歌が少なからずあり、そこでは、その場かぎりの出来事としてではなく、背景にある教師の人生、生徒の人生が彫り込まれている点が特色です。百葉箱という地道で地味な存在を久々に思い出しました。
引用した作ももちろん、愛誦性のある作が多いこともこの歌集の魅力です。文句なく、今年度一番の歌集と思います。
「まろやかで涼味を帯びた優しい音楽性」 高野公彦
三枝浩樹歌集『時禱集』は、人々の生きる場をえがきながら騒がしさというものが無く、私たちを快い静寂の中に置いてくれる。外界を眺めている作者の精神が十分に成熟しているからであろう。
アイリッシュ・クリームの香をたのしみて家族三人(みたり)が寄る朝の卓
雪雲の大きな翳が占める森ひえびえとひとつひとつの木あり
しんしんと見えがたきもの空に充ちわが行きかえるなまよみの甲斐
雪の嶺その襞ふかき稜線はものいわぬ朋 かつても今も
母ありて父の記憶の温まること多かりきその母も亡し
作者の天性の才能であろうが、一首一首にまろやかで涼味を帯びた優しい音楽性が付与されていることが尊い。また、歌集のところどころに聖なる宗教性の漂う歌があるのは、貴重な特色である。山に囲まれた甲斐に住み、その風土に心を寄せている姿勢も好ましい。
もう一冊、水原紫苑歌集『えぴすとれー』も、異色だが魅力的な歌が多かった。
死神は帽子を取りぬながれいづる金髪(きんぱつ)われに見せなむとすも
靑旗の木幡の上をゆくものはアンドロギュヌス金の尾曳けり
この世を透視する作者の眼によって、現実の秩序は解体され、異界ともいうべき別種の秩序が現出する。それをうたい上げた彼女の作品には、美への憧憶と、生あるものの哀感と、この世への柔らかい呪詛が含まれ、読むものを快い眩暈に導く。歌は難解ではない。発想が超人的なのである。
「静かな存在への思い」 馬場あき子
『時禱集』の読後感はさわやかである。親しい人との別れが多かった時期の歌は思索的で内容は深いのに言葉は静かである。「歌は鎮魂」だと作者は言っているが、ここには静かな言葉があり、その言葉が読者を鎮魂する。作者はクリスチャンで信仰に根ざす歌も少なくないが、それ以上に、人間がもつ本来の抒情を大切にした温かな思いにみちた作品集である。
アイリッシュ・クリームの香をたのしみて家族三人(みたり)が寄る朝の卓
こわれゆく肉とたましい たましいの様みえざれば黙しゆくのみ
まるで聖家族のような穏和なあたたかさに包まれている歌に対して、反面、「こわれゆく肉とたましい」をみつめる作者があり、時には尾崎豊から太宰治へと関心をうつしゆく息子への見守りもある。
集中には死者として去っていった親しい人を見送る歌がかなり多くあるのは作者がそういう年齢にあることの証だが、中でも母への挽歌はその後もずっと尾をひいてゆく作者の影であり、精神的な翳りとして心ひかれるものがある。三枝家を支えたこの母堂は五男を育て、作者はその末子であった。
別るるためまことわかるるため会いて五十三年 母を葬(はぶ)りぬ
今年迎うる母なき母の誕生日雨中にしろき芍薬を剪る
おのずから胸に浮かびてとどまればしばし秘密のごとく母恋う
このほか随所にその片鱗をみせる広島、福島、そして反原発への思いも作者の潜熱の深さといえる。
ひとつの木にひとつの宙のしんかんとありて暮れゆく時のしずもり