「皆様への感謝」 友岡子郷
私のようなマイナー・ポエットに、「蛇笏賞」のようにメジャーな賞が贈られるとは、夢にも思いませんでした。何かのまちがいではないかとさえ思いました。それが夢ではないと知ったとき、私は驚き、胸が熱くなりました。選考に当たられた方々のご厚志はもとより、長い俳句人生を励ましつつ支えてくださった方々のご温情が積み重なったからだと、思い返さずにはいられなかったからです。
私は自身が生来のマイナー・ポエットであることを恥じたことはありません。むしろそうでありたいと願って来ました。私は学童疎開の世代、戦後騒がしい軍部の怒声から解放されて、やっと心和むひとときを与えてくれたのが、立原道造、中原中也、中勘助の『銀の匙』などの詩文でした。
大学に入って長谷川素逝の句集『ふるさと』を読んで、自分も句づくりをと思い立ちました。当初はでたらめで身勝手でした。
至りついたのは、今は亡き飯田龍太先生で、二十五年間休まずにその選句を受けました。その選句を通じて、本物の俳句・俳人らしきを学ばせて頂きました。
龍太先生がご存命でしたら、「きみ、ほんとにそう思っているのかね」と問い質されそうですが、「ええ、私は運良くてこの大賞を受けました」と、笑顔で応じたいと思っています。
「動と静の俳人」 片山由美子
第五十二回蛇笏賞は、有馬朗人句集『黙示』と友岡子郷句集『海の音』の二冊を受賞作として選んだ。昨年に続いて複数受賞となったのは、全く異なる作風の優れた句集だったからにほかならない。
有馬朗人氏は俳人である前に国際的な物理学者であり、長年にわたって世界を駆け回ってこられた。多忙な生活が日常であり、その中で俳句を作ることもまた日常の一部だったといえるだろう。『黙示』の数多い海外詠の中に、こんな作品がある。
露けしやラマダン終わりたる砂漠
紫苑手にダヴィデの墓を訪ねけり
ユダもまたまぎれなき使徒麦一粒
いづこにも釈迦ゐる国の朝涼し
空間を移動するだけでなく、さまざまな宗教や風土や歴史を超えた世界を俳句に詠もうとする意志が強く感じられる。それがこれまでの句集以上に自然に、しかも深い作品となっていると感じた。さらに、
つづれさせこの世をのぞく窓を閉づ
雪の野に呼び合ふ人の灯が二つ
こうしたしみじみとした作品にも心魅かれた。
一方、友岡子郷氏は、兵庫県明石の地で、海を眺め潮騒に耳を傾け、ほとんど動くことなく句作を続けている俳人である。俳句をひたすら愛し、禁欲的ともいえる純粋さで独自の作品を詠み続けてきた。
桔梗やひとり欠ければ孤りの家
文手渡すやうに寄せくる小春波
青蝗(いなご)その子らの日々吾にありし
どの家の灯にも人影鰆どき
母を知らねば美しきいなびかり
友の訃ははるけき昨日きんぽうげ
朴訥ともいえる『海の音』の作品の一句一句に、稀有なる俳句的良心を確認する思いであった。
「永遠 ━━ 海の音とその黙示」 齋藤愼爾
友岡子郷氏の『海の音』には、内なる青海原から衝きあげてくる潮風、檣(ほばしら)、海鳴りなど、情念の音と光とが眩(まばゆ)く交響する。〈冬麗の箪笥の中も海の音〉〈盆のひと青海原を置きて去る〉〈白波へ向かひ俎始めかな)。
飯田龍太氏が「俳壇の前途にかすかな不安を覚えたり、量が質を上廻って堕落の危機を感ずるとき、私は何人かのうちのひとり、友岡さんを思い浮かべて、こころを明るい方へ引き戻そうとする」と言い「作品は木漏日のような繊(ほそ)さと頸(つよ)さと優しさがある」と継がれたことを思い出す。受賞は文学の詩神から贈られた褒章の趣がある。
有馬朗人氏の『黙示』では、〈花野さまよひ方舟に乗りおくる〉〈葛切に透けて幼き日の山河〉〈混沌に口を開いたる海鼠かな〉など、句境に自己劇化の衝動が加わったことに注目した。〈花野〉に『旧約聖書』「創世記」のノアの方舟が投影される。世界の〈混沌〉を凝視して告知する現代人の苦悶。地上の異国(ことくに)をさすらった体験は、いずれ反芻、思想詩として深化されること必至。鶴首して待ちたい。
候補作の『ひとり』(瀬戸内寂聴)では、〈御山(おんやま)のひとりに深き花の闇〉〈鈴虫を梵音(ばんのう)と聴く北の寺〉を偈(げ)の如く感じた。寺の鐘など仏に関する妙音を「小川のせせらぎ、小鳥の囀り、赤子の産声」はては「相愛の男女の睦みあう言葉」にまで拡張、「出離者は寂なるか、梵音を聴く」と法名の由来までを暗に語る。
末筆ながら、〈祈るべき天とおもえど天の病む〉などで過去に蛇笏賞候補(第五十回)にもなった石牟礼道子氏の逝去を悼む。「ひとりの人間の生涯を超えるような作品というものはなく、すべての文学や宗教は、人間存在の解説の試みであろう」という言葉に、私たちの俳句と〈いのち〉が荘厳(しょうごん)されたことを多としたい。
「定住と漂泊」 高野ムツオ
定住と漂泊は俳句はもとより文学全般の永遠のテーマである。だが、対立概念ではない。定住にあって漂泊を、漂泊にあって定住を思想し実践する、そこに本質がある。有馬朗人は漂泊を日常とし、各地の自然、文化、歴史と向き合ってきた。むろん、一笠一杖の流寓ではない。多くはやむなき旅であろう。しかし、その交流交響を通じて、それぞれの風土をその時空とともに悠揚に雄渾に映し出してきた。海外詠とは海外という言葉を超越する時、本物となることを教えている。
いづこにも釈迦ゐる国の朝涼し
山を裂き銀河へ迫り行く黄河
『黙示』の世界の豊潤さは、ハレを日常とする人の、ケにおける素顔から生まれた句が低音部を随所で担っていることにも根差している。流魄が原点回帰することで世界が限りく深くなるのである。
人日や励ますは亡き父の声
セーターより顔出す向かう側の世に
友岡子郷は一所定住にある。事実として以上に作品のあり方がそう雄弁に語っている。喩えるなら、潜窟から世界の諸相を疑視する。朗人が多点観測者ならば子郷は定点観測者である。だが、仙境のまなざしではない。命ある万象を慈しみ包む愛惜のまなざしである。それゆえ万物は生まれたての輝きに満ちる。
はるかなる白波とどき初雀
日輪は一つ磯巾着ひらく
『海の音』は批評の詩魂をも内蔵している。それも実に静謐に実に粛然と。それゆえの強い怒りと深い祈りとが言葉からあふれ出る。
流れ藻のごとき被爆衣夏夕日
死に泪せしほど批杷の花の数
未熟を省みず妄言を連ねた。低頭しながらお二人の受賞を祝したい。
「理屈を破る」 長谷川 耀
毎年出る山のような句集や雑誌を読みながら、最近、危倶しているのは言葉の表面の「意味」だけ、それを「理屈」でつないだ俳句が目立つこと、もしかすると徐々に増えていることである。
「理屈の句」はわかりやすい。なぜなら俳句の読者も人間である以上、社会の中で理屈にまみれて生活しているからである。そうすると、ほんとうは理屈の網を破るために俳句という文学はあるのに、理屈の網の中にいるまま理屈で俳句を作り、読んでしまう。
蛇笏賞をはじめ数々の俳句の賞は本来、この理屈の網を突き破った稀有な句集、別の言い方をすれば目の前に新しい世界を切り開いてくれる一冊の句集を発見し顕彰するためにある。しかし現実は俳壇で人気のある、つまり理屈でできている句集を追認するだけに終わってしまいがちである。
瀬戸内寂聴氏の『ひとり』は長い作家生活を背景にした本格的な句集である。ところが多数意見によって「選考の対象外」とされたのはたいへん惜しい。
釈迦の腑の極彩色に時雨けり
湯豆腐や天変地異は鍋の外
これらの句から「俳人として生涯を終えたい」というメッセージを受け取った。
友岡子郷氏の『海の音』は現実から記憶のかなたへ、ときに生前死後の世界に遊ぶ。
手毬唄あとかたもなき生家より
母を知らね美しきいなびかり
有馬朗人氏の『黙示』は、
オーロラの翼に弾み春満月
さつと手をあげて誕生仏となる
選考会ではこれらの句を褒める声があった。しかしどちらも理屈の句であると思う。これからの展開に注目したい。