蛇笏賞・迢空賞

第57回「蛇笏賞」・「迢空賞」受賞作発表
  • 2023.04.24更新
    第57回「迢空賞」受賞作発表
  • 2023.04.14更新
    第57回「蛇笏賞」受賞作発表
蛇笏賞・迢空賞とは 設立のことば 受賞者一覧

受賞のことば・選評

第53回蛇笏賞受賞
『朝の森』(ふらんす堂刊)
大牧 広
【受賞者略歴】
大牧 広(おおまき ひろし)
1931(昭和6)年東京生まれ。1965年「馬醉木」「鶴」に入会。1971年「沖」に入会し能村登四郎に師事。1972年「沖」新人賞、1983年「沖」賞受賞。1989年「港」創刊主宰。2005年『俳句界』特別賞を森澄雄氏と共に受賞。2015年句集『正眼』により第30回詩歌文学館賞、第4回与謝蕪村賞、第3回『俳句四季』特別賞受賞。2016年第15回山本健吉賞受賞。2018年『俳句・その地平』により、文學の森特別賞受賞。2019年4月20日逝去。

受賞のことば

大牧 広

三月二十八日、私の第十句集『朝の森』が、第五十三回蛇笏賞に選ばれた。
蛇笏賞、私は、俳句の道に入ったとき、こうした最高峰があることを知った。知ると同時に、到底人智の叶わぬ「賞」であることと、心の中で三割ほどの「挑戦してみよう」という気持が芽生えたことも知った。 そんな思いを芽生えた日から、三十年(ママ)が経っている。私が発行した句集の中で、(四月一日自筆原稿)
蛇笏賞の受賞、これは望外の喜びです。夢が現実になるとは思わなかった。 これに傲ることなく、俳句の道でお役に立てることがあれば、とても有難いことです。(四月十三日ボイスメモ)
昨年十二月に膵臓癌を宣告され、在宅医療にて過ごしてきましたが、四月になってからは日に日に容体が悪くなり、十日に再入院する頃にはほぼ寝たきりの状態になっていました。浮腫や怠さによりペンを持つ事さえできないまま病院で過ごした十日のあいだ、父は何度か「夢か現か」と呟きました。四月十九日午後、父は「俳句の事でなにかやり残したことはあったか?」と私に問いました。「角川から依頼されている仕事がある」と答えると、「じゃあ言うから、書いて」と言いました。父は次から次へと句を読みました。その大半は「夢」の句でした。父が亡くなったのはその翌日でした。小泉瀬衣子(大牧広氏次女)

選評(敬称略/50音順)

「今の時代に」 片山由美子

 今年の選考は、最終的に賞を出すべきか否かの議論となり、結論に達するまでにいささか時間を要した。蛇笏賞にふさわしい句集とは、ということを改めて考えさせられる機会になったのであった。
 大牧広氏の『朝の森』は、これまでの受賞作になかった持ち味の句集である。
  無駄な日をむしろ愛して蜆汁
  空襲を知る人減りてつくしんぼ
  敗戦の年に案山子は立つてゐたか
  着ぶくれてしまへば老の天下なり
  朴咲くや来世はすこし遊びたき
 飾らず、主張すべきを主張するところに、作者の朴納な人柄がにじむ。
 茨木和生氏の『潤』は、第十四句集。これまで一貫して大和を舞台に古い季語を詠み続けてきたが、本句集の作品が完結する前に夫人と永別。
  病室に妻を残して初詣
  残されしわれも遺品か春の星
  妻ゐたる時のごとくに巣箱掛く
 図らずもこうした作品が加わり心に響く旬集となった。二番目の句は、師である右城暮石の〈妻の遺品ならざるはなし春星も〉を受けており、俳人としての来し方への思いの深さも感じさせた。
 山本洋子氏の『寒紅梅』は、確かな美意識に裏付けられた句集である。
  よき松の下に置きたる早苗籠
  石段をすべり落ちくる花の塵
  雛壇の端に眼鏡を置きにけり
  二つほど文だしにゆく良夜かな
  雛飾る奥座敷にも離室(はなれ)にも
 今の時代だからこそ、貴重な作品であると思う。

 



「時代を生きる」 高野ムツオ

 俳句は名もなき庶民の詩である。大牧広はそう信じ六十年近い歳月を愚直一途に俳句と向き合ってきた。雪月花や花鳥の自然美を言葉で掬い上げる世界とは隔絶する世界だ。氏の大きく深い眼が見据えているのは、喜怒哀楽そのままに生きる人間の姿である。そして、人間が侵してきた戦争や自然破壊などの原罪である。その矛盾に満ちたどうしようもない、しかし、愛すべき人間を、ときには怒り、ときには悲しみ、ときには慈しみをもって十七音に形象する。
  戦中と同じ星なり九月尽
 昭和二十年、焼け跡のバラック造りの家に暮らしていたという。十四歳の折であった。昼、町内会長の家に集められ、そこで玉音放送を聞いた。その夜に仰いだ星、さらに空襲に怯えた夜にも仰いだ星が、七十年後の今夜も輝いている。そう受け止めるのは感傷や懐旧ゆえではない。今もまた当時と同じ危機にさらされているのではないかとの批評ゆえだ。
  開戦日が来るぞ渋谷の若い人
 それは、ときに辛辣で藪睨み。詩の悪意が丹念に塗り込められる。憎まれようが、世にはばかる老人として、未来を憂いて洩らす咳きが俳句となる。深まる高齢化社会と戦争に無縁の少子化社会とが、ギャップまるごと捉えられている。したたかな諧謔世界である。
  鋤焼の大きな肉や台東区
 ここには戦後の東京が時空を超えて抱え込まれている。区名がこれほど働いている句を他に知らない。
  山々の緑は目にも骨にも沁み
  白魚のぞくりつめたき白魚飯
 読み返すたびに味が濃くなる句集というのがある。舌触り歯触りは粗いが、しだいにやみつきになる。平成の終幕に『朝の森』が蛇笏賞に輝いたことを心から祝いたい。

 



「無風流に低頭」 高橋睦郎

 昨年一年間手にした句集の中で最も手応えを覚えたのが、大牧広句集『朝の森』だった。選考会の席上、「俳味が薄い」「俳格に欠ける」といった評が出たかと記憶するが、なまなかな俳味・俳格を超える圧倒的な存在感・説得力に脱帽した。風流に勝る無風流に低頭した、と言い換えてもいい。この作者の無風流は無という冠をかぶった風流にほかなるまい。
 この国がいわゆる大東亜戦争に敗れたとき、この作者は十四歳。同じく敗戦体験といっても、七歳だった私などとは受け止めた切実さが違う。作者の戦中・戦後は現在まで続き、この国と国民とは敗れつづけている。その体感をこれほど飽くことなく詠みつづけている俳人も稀だろう。
  空襲サイレン耳朶に晩夏な
  憲兵隊ありし坂にて雁鳴けり
  開戦日が来るぞ渋谷の若い人
  日本はかつて帝国霙降る
  昭和二十年秋停電と長雨と
  いきなりの寒さかの日の真珠湾
  父とつくりし防空壕よ八月よ
  台風や雨戸耐へゐし昭和なり
  敗戦の年に案山子は立つてゐたか
 そんなこの作者にとっては、3.11以後も戦後、むしろその窮まりなのだ。
  声きつと初音のみなる避難地区
  春野菜福島産と聞けば買ふ
  五月憂し化学兵器のある限り
  高官の抱き合ふ景色芒照り
  朴咲くや来世はすこし遊びたき
 すこしとおっしゃらず、思う存分遊んでください。しかしその前に、まだまだ戦後への思いを吐きつづけてください。

 



「平成俳句の問題」 長谷川 櫂

  大牧広さんの訃報がけさ(四月二十四日) 届いた。つつしんでご冥福をお祈りします。
平成三十年(二〇一八年)、平成最後の蛇笏賞の候補句集五冊を読んで、次の句に注目した。
  海鳥が飛べり銀座の春の空 茨木和生 『潤』
  ここいらはなにごとも旧粽結ふ
  崖道を這うて来たるは落鰻
  矢車の音の一日何もせず 榎本好宏『青簾』
  復員の寒の月夜にまた一人
  男体の山の形に青嵐
  としよりを演じてゐぬか花筵 大牧 広『朝の森』
  日本はかつて帝国霙降る
  死んでゐし秋蟬を轢いてゆく東京
  虚子五十回忌末法到来す 三村純也『一』
  春障子中途半端に開けてあり
  浮いてこい浮いてこいとて沈まする
  稲刈を了へしところに子供をり 山本洋子『寒紅梅』
  祝ぎ事の館を囲む植田かな
  落椿押し分けてゆく真鯉かな
 ただ句としてはそれぞれ見どころがあるのだが、句集全体としてみると、いずれも食い足りない印象が強かった。なぜなのか。その理由を考えているところだが、これは五冊の句集だけでなく、平成の俳句全体が抱えこんでいる問題でもあると思う。
 選考会では「受賞作なし」とするか、それとも大牧さんの『朝の森』を受賞作とするか、双方の意見が平行線をたどった。ありのまま申せば、角川歴彦理事長の采配で大牧氏の受賞が決まったという経緯である。
 蛇笏賞はその年の最高の句集に差し上げる賞である。功労賞ではない。活躍が期待できる五、六十代の方にとっていただきたい。ただ合議であるから、さまざまな思いも交錯する。 いうまでもなく時の運も大事。


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