「俳句にかしずく」 大石悦子
このたびは第55回の蛇笏賞をいただくことになりました。討議にあたられました選者の先生方、また日ごろ私の俳句を読んでくださっている方々に、心よりお礼を申し上げます。
『百囀』は平成時代の終りと、私の八十代の始まりを心において準備をいたしましたが、まさか中国で発生した新型コロナウイルスによる感染症蔓延という事態に、もろにぶつかることになろうとは思いもよりませんでした。
コロナ騒動が今後の俳句界にどのような影響をもたらすのか、私の八十代はどのような展開を見せるのか、関心というより期待の方を強く感じます。
選考会でどのようなご指摘があったか、伺うのは恐ろしい気がいたしますが、「百囀」には鳥の囀りのもたらす「賑やかさ・騒々しさ」も含まれていると想像し、多くの話題が賑やかに飛び交う句集であったらと思っております。
長いつきあいとなった俳句は、もう一人の私が安穏に生きるための隠れ蓑のようなものだと、つねづね思ってきました。それはこれからも変わることはありませんが、今後は着古した蓑をねぎらうように俳句をねぎらい、俳句にかしずいていきたいと考えております。
「俳句は「ことば」」 高橋睦郎
詩は「こころ(イデ)」ではなく「ことば(モ)」で書くものという十九世紀仏蘭西象徴派の大宗ステファヌ・マラルメの至言は、世界最短の詩型である俳句にこそ最もよく当て嵌まろう。ところで現存の俳人多しといえども、大石悦子ほど「ことば」に拘わる人はあるまい。そのせいか若年には紀貫之のいわゆる「ことばあまりてこころたらず」の気味がなかったとはいえない。しかし「ことば」への拘わりもここまで劫を経ると、足らないかに見えた「こころ」を補って文句の付けようがない。美しすぎるかに見えた句もいまや美しさを超えて怖ろしいまでだ。〈滴りは魑魅の目玉夜の崖〉〈凌霄花を火と垂らしたる能の家〉など、その一二例に過ぎない。他に特に心に残った句を以下に並べよう。
天地を束ねし結柳かな
雪の降る眺めに膝を立てにけり
冬眠のくちなはも斯く寝返るか
太郎来と菖蒲一束湯に放つ
風蘭や遠白濤の上る見ゆ
恋歌の反故に雛を納めけり
青葉木菟尼院早寝をしたまへり
元朝をあかあか点し海神社
画(ぐわ)眉(び)鳥(てう)を加へ百囀ととのひぬ
蝶道や蝶に噎ぶがごとく行く
松の花紺紙金泥経曇る
泊船のごとしづまりぬ月の家
ふるさとに覚めよべの雪けさの雪
花蘇枋老斑ときにはなやげり
もう一人、平常の「ことば」に拘わり現在の高さに到った池田澄子『此処』を併せて強く推したが、賞は一人が本来と言われればその通りに違いなく、已(や)んぬるかな『百囀』一冊授賞に従った次第である。
「『百囀』と『此処』」 高野ムツオ
大石悦子の『百囀』は炎でできている。ときには野火となって奔放に燃え広がり、ときには落葉に付いた火のように舞い上がる。浜辺の塩木の焚火さながら、いつまでも燻り続けることもある。
滴りは魑魅の目玉夜の崖
遠花火見ゆるわが家に老いにけり
その炎は森羅万象に憑依し、見えないはずの物本来の姿を暴き出す。滴りは精霊の目となり熱く滾り、遠花火の音は時空を超えて招魂し、ときには幾重にも胸に花開く。
凍星の降る鬣や放れ馬
蓮ひらく空ゆくものに息あはせ
狐火を手玉にとつて老いむかな
慈愛のまなざしも老いへ向かう自己を凝視する内なるまなざしもひたすら熱く燃えさかるばかり。
池田澄子の『此処』は水でできている。ときには奔流となって颯爽と海へ逬り、ときには天泣となって額や頰を濡らす。
ゆく河も海もよごれて天の川
野よ川よ花よ人よと雨が降る
水は天上にあっては、自然を衰亡させる以外生きる手だてのない人間へ注ぐ悲しみと慈しみの涙の川となり、あふれては雨となって視界を遮る。
物干すと乾く此の世を唐辛子
三月寒し行ったことなくもう無い町
迎え火に気付いてますか消えますよ
俳句の諧謔性は深い悲しみを表裏にすることで本領を発揮することをこれらの句は教えている。
俳句の価値判断において、口語か文語かという物差しはもはや時代錯誤であることを、実に対照的な作風ながらも、この二句集がはっきりと証明している。蛇笏賞の栄誉は二人に浴びて欲しかった。
「美酒に酔う」 片山由美子
本年度の第55回蛇笏賞は、選考委員全員の高い評価を得た大石悦子氏の第六句集『百囀』に決定した。
三十七年前の角川俳句賞以来、俳人協会新人賞、俳人協会賞と、大石氏が賞を受けられる場面に居合わせてきた者として、時流に流されず、独自の作風を深めて『百囀』の世界に到達されたことに感嘆するばかりである。
大石氏の俳句には豊かな情緒と共に遊びごころが感じられる。素材は身辺の些事であったり、ふと目にしたささやかな光景であったりするのだが、行き届いた言葉の斡旋によって、どれもが深い味わいを醸し出している。古典的なしらべを活かした日本語が美しい。
天地を束ねし結柳かな
若水や天の真名井をあふれきし
雪の降る眺めに膝を立てにけり
あやめ草結びて夕(ゆふ)占(け)いたさむか
淡交も過ぐればさびし花蘇枋
大石氏の俳句の巧さは誰もが認めるところだが、それは単なる技巧の問題ではない。手練手管に絡めとられる快感といおうか、抗し難く引き込まれていくことを楽しまずにはいられない作品世界なのである。
絶景や兄のゆきたる初山河
元日に亡くなった兄を詠んだ作だが、このような人の悼み方があったとは驚かずにはいられない。ほかにも鬼籍に入られた多くの知人・肉親にこころを寄せた作品があり、その人々と共に生きてきたことへの深い思いが印象に残った。
凌霄花を火と垂らしたる能の家
泊船のごとしづまりぬ月の家
こんな句もある。『百囀』の一句一句に漂うのは、いうなれば芳醇な美酒の香りである。現代の俳句が到達したひとつの頂点であることを確信する。
「人間と俳句」 長谷川 櫂
大石悦子句集『百囀』のよさ、満場一致に近い票数で受賞が決まった理由はこの句集を読んでいただければ誰でもすぐ納得するはず。もし納得しない人があれば、自分自身の俳句観のほうを点検したほうがいいかもしれない。これ以上何をいっても屋上屋になりそうなのだが、いくつか蛇足を述べておきたい。
紙雛とは山に折り谷に折り
死にいたる病に春の風が吹き
朧夜の浮木があれば亀が乗り
大石さんは生前の石田波郷に学んだ人である。当然のことながら、文学の中で短い俳句だけがもつ特性、いいかえれば俳句性を人一倍意識しながら俳句を作ってきた人である。ところがこの句集を読んでいると、俳句性など忘れてしまう。俳句性を云々するのは野暮であると思わされる。
では『百囀』の第一の美点は何か。それは一句一句の中に大石悦子という人間がしっかりと生きていることである。生涯をかけて俳句性を追求しているうち、いつの間にか大石悦子という人間が俳句性を追い越してしまったということだろうか。俳句は長い時間を要する文学なのだ。
野中亮介句集『つむぎうた』の第一印象は、これほど深い俳句を詠む人が水原秋桜子の門下であることだった。しかし波郷も加藤楸邨も秋桜子門であるから、この第一印象は誤っている。秋桜子という人は弟子を自分より大きく育てる徳があったにちがいない。
滴りの次待つ次のあらざりし
死神は涼しきうちに来りけり
鬼胡桃てのひらにもう脈打たず