蛇笏賞・迢空賞

第57回「蛇笏賞」・「迢空賞」受賞作発表
  • 2023.04.24更新
    第57回「迢空賞」受賞作発表
  • 2023.04.14更新
    第57回「蛇笏賞」受賞作発表
蛇笏賞・迢空賞とは 設立のことば 受賞者一覧

受賞のことば・選評

第56回迢空賞受賞
歌集『漆桶(しっつう)』(現代短歌社刊)
大下一真
【受賞者略歴】
大下 一真(おおした いっしん)
1948年7月2日、静岡県生まれ。
臨済宗円覚寺派の僧侶。瑞泉寺住職。
駒澤大学仏教学部卒業。1981年まで円覚寺専門道場にて修行。1971年、歌誌「まひる野」に入会。1982年に同誌編集委員、2015年より編集発行人。2005年、第32回日本歌人クラブ賞(『足下』)。2009年、第14回寺山修司短歌賞(『即今』)。2011年、第16回若山牧水賞(『月食』)。
歌集に、『存在』『掃葉』『足下』『即今』『月食』『草鞋』『漆桶』。
著書に、『山崎方代のうた』『方代さんの歌をたずねて――芦川・右左口篇』『方代さんの歌をたずねて――甲州篇』『方代さんの歌をたずねて――放浪篇』『方代さんの歌をたずねて――東京・横浜・鎌倉篇』『鎌倉山中小庵日記――ちょっと徳する和尚の話』『花和尚独語』など。

受賞のことば

大下 一真

 令和元年の晩秋、友人と能登の旅をするはじめに氣多大社に詣で、折口信夫のお墓参りをしました。私は十年ほど前に一度お参りしたことがあります。折口信夫と春洋のお墓は立派ですが、その周りには海から集めて来たのでしょう、丸い丸いさほど大きくない石が、墓石としてたくさん置かれていました。いずれも文字は刻まれていません。晩秋ということもあり、いっそう殺風景な砂浜を笹藪で囲ったような周囲の景色と相まって、初めて訪ねた友人には衝撃的だったようです。こういうお墓を民俗学的にはどう呼ぶのでしょうか。ともあれ、地方、地域の伝統、習慣はさまざまです。和歌の世界は西洋文明と出会って、近代短歌に脱皮しました。思想や知性を尊びます。しかし、それがすべてなのでしょうか。土俗論の復活をかざすのではありませんが、人間やその存在の根源的な世界をさらに目指す志を、大切にしたいと思うのです。
 偉そうなことを申しました。遠くで眺めていた賞が思いがけず眼前に現れて、うろたえてあらぬことを口走っている受賞者の弁です。

選評(敬称略/50音順)

「新仮名の僧の歌」 佐佐木幸綱

 今年も去年と同じく、馬場、高野、佐佐木三人が飯田橋の角川第一本社ビルに集まり、永田委員は自宅にいて画面で参加しての選考会になりました。候補歌集は五冊。各委員がそれぞれその歌集について作品を引用しながら発言。例によって多様な角度からの論議の末、大下一真氏の第七歌集『漆桶』が今回の受賞作と決定しました。
 仏教にかかわる歌が多い歌集であるにもかかわらず、突然に野球の歌が出てきたりして、そのあたりのバランス感覚に感心しました。
 大下一真氏は鎌倉の瑞泉寺の住職で、宗教的な見方、感じ方を前面に出すようなやや特殊な歌を作って来ました。歌集名の『漆桶』は禅宗の語で、「まっくらでなにもわからないことや、仏法についてなにもわからない僧」(後記)のことだという。これまでにもまして、現代の僧の歌を意識した歌集のように感じました。
 大下一真氏はずっと新仮名の歌を作って来ました。他の選考委員の賛同はえられませんでしたが、私はこの第七歌集までで著者は「新仮名の僧の歌」を確立した、と見ていいのではないか、そう思います。
  イヌガラシ ムラサキカタバミ オオバコと呼びつつ抜けば供養の如し
  水槽のシーラカンスを観ておればシーラカンスの時間を泳ぐ
  夜祭りの店に飾られひょっとこはひょっとこに似る人来るを待つ
 旧仮名と表記がちがう歌を引用してみました。旧仮名に慣れている人には「オオバコ」「おれば」「ひょっとこ」はたぶん気になるでしょう。私のような新仮名歌人は気になりません。いよいよ僧の歌も新仮名の時代に入ったのです。

 



「現世の奥深さを意識しつつ、自在に」 高野公彦

 大下一真氏は、鎌倉の名刹・瑞泉寺に住職として生活している。歌もそうした環境の中から生み出されるものが多い。
  丁寧につくばい清め一年を寺の歴史に積み得て除日
   泡般若あわはんにゃ洋般若ようはんにゃはビール・ウイスキー 智慧の水とて僧は嗜む
 前者は、創建以来七百年近い歴史のある瑞泉寺を日々運営し、大晦日につくばいを清めて無事一年を送り得た安堵感がにじむ。
 後者は「葷酒山門に入るを許さず」という言葉もあるが、酒類は智慧の水であるから僧侶である私たちも慎ましく嗜んでいる、という歌で、「泡般若・洋般若」という呼び名にユーモアがある。
  アイドルが母親となり祖母役となる歳月のラヴェルのボレロ
 若きアイドルだった女性が歳月の経過とともに母親役を演じるようになり、さらに祖母役を演じたりする。月日の経つ速さ、とどめ得ぬ勢い、その容赦ない時の流れの激しさを、端的に「ラヴェルのボレロ」の楽曲に譬えたのが大胆で鮮烈。
  右脇を下に静かに臥したまう延命願わぬ母の涅槃図
 余命いくばくもない母を看取っている。延命治療を希望しない母は、ゆっくり死に近づいてゆく。釈迦が入滅したとき「ほくめん西さいきよう」の姿勢だったというが、病床に臥す母の姿に釈迦の姿を重ねて、作者の深い優しさが籠もっている歌だ。
 人智の及ばぬ現世の奥深さを意識しつつ、自らの生活する人間界の喜怒哀楽を自在に、時にユーモアを交えて詠んだ魅力的な歌集、それが大下一真氏の『漆桶』である。



「真面目な僧の自在な歌境」 永田和宏

 歌集『漆桶』の名について作者は次のように記す。「本来の意味はうるしを入れる桶であり、転じて、まっくらでなにもわからないことや、仏法についてなにもわからない僧、または妄想、執着の譬えである。この名を選んだ意図はおはかりいただきたい。」
 この洒脱な三行は、歌集の立ち位置あるいは風貌をよく表し、にやりとさせる。決していい加減なのではない。寺を預かる僧として、己の老いに真面目に向かいつつ、しかし語りすまして善しとするところがない。自由なのである。自由は苦しみでもある。
  せんことのあれこれ思いあれこれのあるを喜ぶ夜半に目覚めて
  我慢がまんと己に言うは言わざれば我慢のできぬことのあるゆえ
 自らの寺の仕事の他に、本山教学部長としての役割も担い、過重な仕事量に苦しむ。しかしそこに働く喜びを見出し、我慢という語の意味を改めて考えたりもする。その過程が自然に見えてくるのがいい。
  父も兄も見ざりし孫というものを秋の夕べの光に抱けり
 孫を抱く喜びではあるが、この喜びを、自らに繫がる父も兄も持てなかったことこそが歌のモチーフであろう。父にも兄にもなかった大切な老いの時間。
  身の丈に根を張り花を咲かせたり人は勝手に雑草と呼ぶ
作者には、自ら雑草を生き抜くという矜持があり、それが僧であることの他に、歌人として己を律している根拠にもなっているのだろう。
 最後に長歌が二首載せられているが、そのうちの「一期一会」は、僧でなければ詠むことの叶わない秀歌として、私は素直に感動した。
 本歌集の受賞を心から喜びたい。

 



「ゆとりある人生の視野」 馬場あき子

 『漆桶』の歌にはゆとりがある。対象に対する距離のうまさなどでもなく、物や物ごとをそのものとして納得するという態度がゆったりと広がっていて、歌をやすらかなものにしている。
  「どの道を選んでも悔いは残ります」さざんか冬の入口に咲く
  右脇を下に静かに臥したまう延命願わぬ母の涅槃図
  母の死を告げられ短く礼を述べ受話器を置けば静かなる沼
  どこへ行くのどこへ行くのと問われつつ車椅子押す夕ぐれありき
  父も兄も見ざりし孫というものを秋の夕べの光に抱けり
 集中大きなテーマになっている母の死去から引用した。「どの道を選んでも」の歌は母堂の最後の医療への医のがわからの言葉。ときに人生の道の選択のようにひびいてくるが、母堂に焉(おわ)りを得させるためにはどうしたらよいか、まさに「冬の入口」だ。第三首の結句に置いた「静かなる沼」なども、表象として出した風景などともちがう混沌を鎮めた心象の沼がみえる。また第四首の「夕ぐれ」も車椅子を押す風景以上に「どこへ行くの」の問いに対する夕ぐれとして、人間の存在を問うような味わいがある。そして第二首にみられるやすらかな詠みくだしの文体が大下のいまの歌境、そしてこれからも磨かれてゆく作風になっていくものであろう。
 長子が寺を継ぐべく修行に出る歌や歌人であった亡兄を弔う歌、初孫を抱く歌などもあって、いよいよ一真和尚の後半生がはじまる予感がある。ユーモラスな禅家の視野も開けているところが頼もしい。


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