蛇笏賞・迢空賞

第58回「蛇笏賞」・「迢空賞」受賞作発表
  • 2024.07.12更新
    第58回「迢空賞」受賞作発表
  • 2043.07.12更新
    第58回「蛇笏賞」受賞作発表
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受賞のことば・選評

第56回蛇笏賞受賞
(該当作なし)

選評(敬称略/50音順)

「さらなる展開を」 高野ムツオ

 遠山陽子の俳句とは、師三橋敏雄へのオマージュでありながらも、その世界と格闘することで新たに創造されてくるものであった。師の世界を骨までしゃぶり尽くし、自らに血肉化した上で、新しい言葉を手に入れるべく師に挑戦する。それは泥中を藻搔き彷徨うような困難を伴い、何度も格闘し、何度も破れる。だが、おそらく、敗北の後にのみ開かれる世界が必ずある。それを信じて繰り返す創造の営為こそ、氏の俳句の在処なのであろう。句集『輪舞曲』を読み、蒙昧な若輩は、不遜にもそんなことを思う。本集は、そうしたこれまでの句業の収斂であり、さらに老いという未知世界へ向かうエネルギーと試行に満ちた一冊だった。
  清明や山の放てる星の数
  紅梅の影と知らずに踏みにけり
 これらは、古格を踏まえながらも鮮度の高い抒情性や諧謔味を湛えている。
  闇米を食べてぞ育ちせりなずな
  果て知れぬ花の奈落やわが昭和
などは戦中、戦後を必死に生きてきた人が、その時空を遠近法をもって眺望した世界。静謐の、しかし熱い情念があふれる。
 若井新一の『風雪』は潔い句集であった。自らの産まれ育った風土に両足を突き刺したまま、白骨になっても雪嶺を睨み続けようとする愚直な意志から生まれた言葉に満ちていて、心打たれた。
  千枚田ひとつとなりぬ蛙の夜
  峡の星凍るまじとて瞬ける
  突き刺さる雪に黒ずむ信濃川
 だが、両集とも自信をもって蛇笏賞に推すには躊躇うものがあった。選考委員としての力量のなさを恥じ入るばかりである。他の候補句集にも次期への期待を抱かせるものがあったことを付け加えておく。

 



「さらなる躍進を」 高橋睦郎

 今回の蛇笏賞候補句集のうち最後に残ったのは作者五十音順に、奥坂まや『うつろふ』、遠山陽子『輪舞曲』、若井新一『風雪』の三句集だった。いずれ劣らぬ力量の持主だが、今回に限っていえば『うつろふ』はいささか力の入り過ぎ、『輪舞曲』は逆に余裕の有り過ぎ、私が素直に惹かれたのは『風雪』だった。
 『風雪』の作者若井新一氏は稲作を中心とした農業者で、農業者の目で、というより体感で人生と風土とを生き、風雅を呼吸している。二千数百年来の稲作国であるわが国に生まれた俳諧・俳句では当然のことのようだが、事実はそうではない。歴代の俳諧師・俳人はありていにいって稲作農業の脱落者がほとんどで、当事者は稀有だろう。その稀有の中で風雅を呼吸する者はさらに稀有で、その稀有の典型が若井新一氏だろう。
 その呼吸のしかたは極めて愚直。一見、愚直は風と馴染まぬようだが、そう感じるのは末世の賢しらで、愚直こそ風雅の骨でなければなるまい。
  しろがねの水躍り込む植田かな
  もの言はぬ時の長しや田草取
  稲穂波弥生の世より寄せて来ぬ
  稲刈るや眉毛の上の黒き雲
  四方の山よりも真白き鏡餅
 他の選考委員の評価も私のそれと近かったようだが、その実力からいって三者とも、さらに高く充実した境地が目指せるのではないかとの点でも一致を見たように記憶する。
 蛇笏賞は俳句における最高の賞であり、そのことの尊厳のためにも、今回の該当作なしという結果を、さらなる躍進の契機としていただければ思う。

 



「俳句の詩性」 中村和弘

 候補作品のうち、念頭に置いたのは若井新一氏の『風雪』、遠山陽子氏の『輪舞曲(ろんど)』、大串章氏の『恒心』の三冊。そして最終的に推したのは若井氏の作品である。
 作者は新潟県魚沼市にて農耕に従事、その生活を根にして農作業、自然を体感的に表現、今日の『北越雪譜』(鈴木牧之著の江戸時代後期の北越の地誌)の趣があり最も注目した。
  北向きの柱に刺さる細雪
  千枚田ひとつとなりぬ蛙の夜
  厳寒の石の芯へと及びたり
  是非もなし新雪深き朝ぼらけ
  天地のひとつとなりぬ雪ねぶり
 これらの北越の風土を詠んだ一連の作品は古代から今も変わらぬ自然を思わせる。
  しろがねの水躍り込む植田かな
  田植機の遠き鉾杉目指したる
  腰燃えむばかり真昼の田草取
  泥のほか見ざるひと日や代を搔く
  残雪の嶺より高く鍬の先
などの農作業の体験をベースにした一連の作品、機械化が進んでもその原点は人力。なにやら暗示的である。
 反面、これは蛇笏賞のレベルにも係わってくる問題でもあろうが、詩性の弱さ、そこからくる物足りなさもあった。強靱な詩性が加わったらと残念に思う。
 遠山氏の『輪舞』の新味はよくわかるが、風刺がいささか饒舌になっているところが気になった。大串氏の『恒心』の抒情、句集後半がやや低調になってしまったことが残念であった。
 井上弘美氏、奥坂まや氏、能村研三氏の句集が候補作にあがって来た事に注目、次の句集に期待したい。
 この度は蛇笏賞受賞作なしという過去にもあまり例を見ない結果となってしまった。
 

 



「新しい風を」 正木ゆう子

   室町に伯父をりしころ祭鱧 『夜須礼』
   勝独楽の傷の手触り今もあり 『恒心』
   やどかりの脚あふれ出て動きけり 『うつろふ』
   スカートの中の立膝花木槿 『輪舞曲』
   駅の名を見る狩人が降りてより 『神鵜』
   泥のほか見ざるひと日や代を搔く 『風雪』
 事前アンケート等をもとに選ばれた六作は、それぞれ異なった作風であったため、一通りの感想を述べ合った時点で、評価は完全にばらつき、意見の統一の難しいことが予想された。
 評価をある程度点数化して絞った結果、残ったのは『うつろふ』『輪舞曲』『風雪』の三作。この中で私が推したのは『うつろふ』である。先に挙げた「やどかり」に見るように、生き物詠に特徴がある。
  蚰蜒のしやらしやら通り過ぎにけり
  秋風や死して兎の長々と
  即物的。その視線は身ほとりの物にも。
  風死してアラビア糊の気泡かな
  釘抜がのつと釘曲げ秋暑し
 抒情でも単なる描写でもないゴロンとしたモノの存在感が、世界のありのままを提示していて、肯定的でありながら虚無的でもあり、自ずと批評性を孕んでいる。〈山あれば空悠々と新豆腐〉の大らかさや〈頭上に巨き振子あるごと暑を歩む〉の感覚もこの人のもの。
 今回最終的に、選考委員の誰かが折れてでも受賞作を出すという選択に至らなかったのは、それぞれの推薦理由が反対意見を説得できなかったからだし、むしろ反対意見に首肯する場面も多かったためである。それに加えて、新しいメンバーでの選考会ということで、これまで築かれてきた蛇笏賞の歴史に、さらに新しい風を吹き込める作品をという思いが全員に共通していたことも、理由のひとつであった。

 


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