安住 敦
初めて逓信省に勤めるようになつてしばらく経つて「若葉」を知つた。当時はほんの職場雑誌の域を出ず、風生先生も頼まれて選を引き受けていると言つたものだつた。同僚に誘われてわたくしも投句した。意識的に俳句の道に踏みこんだ最初である。その後、こつそり「馬醉木」にも投句したりしたが、やがて草城先生の「旗艦」に転じ、終戦後は万太郎先生を擁して「春燈」を始めた。初学から二転したわけだが、想えば過去四十年にわたつて、その間はたしてどれほど俳句に精魂を傾けたと言えるだろう。そればかりではない。その間、幾度俳句を捨てて他のジャンルに走ろうとしたことだろう。正直言つて、万太郎先生が亡くなつてそのあと「春燈」を継承してからでさえ、ややともすれば俳句から離れようとしたものである。俳句以外に道はないと肚を据えたのはついこの数年のことと言つていい。そんなとき奨められて刊行した句集がたまたま栄誉ある賞を頂いたことは、少なくともわたくしにとつて重要な意義をもつ。もうわたくしも若くはない。これを機としてわたくしなりに仕事をしないことには終生悔を遺すだろう。草城・万太郎の両先生はすでに亡いが、幸いにして、その当初から教えを頂いた風生先生が、健在であることは嬉しいことである。終わりに今回の選考にあたつてわたくしの拙い句集を推して下さつた諸先輩・友人各位に御礼申しあげる。