岡野弘彦
今年の初夢は、さめた後も不思議な感情があとを引いて心に残った。折口先生が温い顔で、やさしい言葉を言ってくれた夢であった。夢にあらわれてくる先生は、いつも厳しい顔で黙っていて、眼のさめたあとつらい思いがするのだったが、今年の初夢だけは違っていた。
夢の後の思いをそのままでいるのが惜しくて、伊馬春部さんに葉書を書いた。書いていながら、さっき聞いた言葉が何であったか、もう、どうしても思い出せなかった。はかなく、もどかしかった。夢の中の人すら、二十年たつと変ってしまうのだろうか。いつものように、厳しく黙っていてくれるほうがいいと思った。
迢空賞の受賞を知らされたのは、しっとりと藤の花の香りのただよってくる、深夜だった。あの夢の中のやさしい言葉は、このことだったのかしらん、と思った。私の眼の中で、百房の藤の花房が、しずかに揺れていた。