百合山羽公
このたび蛇笏賞の受賞者に選ばれたとお知らせをうけた。蛇笏賞は俳壇の大賞である。
第一回の皆吉爽雨氏から最近の阿波野青畝氏にいたるまで現代の大家ぞろひであるからだ。
しかし私にとつてやはり人ごとであり、蛇笏門の蒼石氏の始めて接した写真の老いの温顔にも別の感慨を味つたものである。
人ごとと思つてゐたが不意をつかれた受賞のお知らせである。
近著『寒雁』についてか、永い俳歴をいたはつて頂いてのことであらうか。
芋の葉や俳句に遊ぶ五十年
といふ自嘲めいた一句を句帖の端に書きとめたのも三年前で、誰にも見せずに埋もれたままである。その芋の葉が受賞する思ひもするのである。
受賞の喜びの一つは、昔「雲母」で選をしばらくうけた蛇笏先生の名を冠した大賞であり、いま一つは私の永い俳句の歳月が第一回以来の方々の作品と人柄に俳諧の徳で旧知に接するごとくつながることである。
言ひかへれば昔からよく知つてゐる方々に仲間入りできることである。
お知らせがあつてから一日を隔てて某紙の記者がやつて来た。これが目に見えてきた蛇笏賞の受賞といふ実感の始めである。
若い記者で、始めから俳句はよくわからないがと前置をして口を開いた。
短刀直入、四十年近く年のちがふこの記者の熱心さにひかれて、泥を吐かされるやうに俳句発心以来のことを語つた。数枚の写真をとつて記者が帰つたあとまだ記憶の頁がめくれたままの脳裡に「時これ七十」と言ふ語句がはつきり浮んでゐた。これは秋櫻子先生の十余年まへの文章の表題で先生の老の意気が頼もしく籠つてゐた。いま老生ここに至つてこの良語の語勢にあやかりつつ、蛇笏賞を授けらるる意義をはつきりと受けとめたいと思つてゐる。