宮 柊二
薄い一冊を読んでいた。一九七二年三月発行になる、瀧口修造氏の『三夢三話』という本である。そのⅡの
「さび、それが俳諧の真髄のひとつであることを説こうとつとめているのだが、蕉翁その人である私が、さびは錆に通じ、それは石や金属までも腐蝕し、しだいに消滅にみちびくが、しかし「さびし」にも通じる。それは孤独とも違ったもので、しかしどこか荒涼として、誰もいなくなり、ついには自分もいなくなる――だいたいそんな風なことをしゃべるのだが、自分はこと志と違ったことを言ったと悔んでいる。ペレは私を遮るようにして「それはフランス語のサビール Sabir だ!」と、ここぞとばかり叫ぶ。」
というところまで読んだとき、角川書店から人が訪れて、第十回迢空賞に貴君が推されたから受けるかと言う。読んでいた瀧口修造の話は、パリで自分が芭蕉となってフランスの詩人たちと会っている夢を書いているので、後が続く。その夢の話が頭に残っているためか、角川書店の話を他の用件ととり違え、何か関係のない返答を進めているうちに、相手から咎められた。咎められて、自分の話と理解するまで、時間がかかった。
辞退した。辞退を言いながら、第八回迢空賞を田谷鋭氏が受賞した折り、祝賀の式上で「私だって迢空賞を貰いたいのに」と口走って笑われたのを思い出した。そして受けようと思い返した。
その夜、「三夢三話」の続きを読んだが、今度は迢空賞受賞のことが頭に残った。
私の歌も少しずつ違ってきたように思えるが、また少しも違っていないようにも思える。主観と客観、私と人とは違う。違っていていいとも思い、眠りに入った。
それはいずれでも、既存の迢空賞受賞の先輩や友人を想い、またいまは亡い迢空先生を遙かに偲びながら、自分の今回の恩賚に心つつしむのであった。そして眠り際、勉強しなくてはと思っていた。