蛇笏賞・迢空賞

第59回「蛇笏賞」・「迢空賞」受賞作発表
  • 2025.04.18更新
    第59回「迢空賞」受賞作発表
  • 2025.04.18更新
    第59回「蛇笏賞」受賞作発表
蛇笏賞・迢空賞とは 設立のことば 受賞者一覧

受賞のことば・選評

第11回蛇笏賞受賞
『四季蕭嘯』(牧羊社刊)
山口草堂
【受賞者略歴】
山口草堂(やまぐち そうどう)
明治31年7月27日、大阪市堂島に生る。本名太一郎。大正六年、早稲田大学独逸文科に入学。同十年胸部疾患のため退学、以後7年間療養生活を送る。大正末期 「新早稲田文学」同人に加わり、詩、小説を書く。仲間に石塚友二、中山義秀、石川達三等あり。別に「新進詩人」にレ―ナウ、ヘルダーリン等の訳詩を発表。昭和4年頃従弟の勧めにより俳句を作る。昭和6年10月、水原秋櫻子先生の独立を知り、その句風を慕って「馬酔木」に入会、水原先生の指導を受く。昭和9年「馬酔木」賞を受け、翌10年同人に推さる。以後昭和7年創刊の「南風」を主宰し今日に至る。 句集『帰去来』『漂泊の歌』『行路抄』『四季蕭嘯』あり。

受賞のことば

山口草堂

 今までに蛇笏賞を受けられた先生方は、賞に該当する立派な作者なのに、その報らせを受けると申合わせたように「間違い」ではないかと思つたと、受賞の言葉に書いていられる。それにはいつも何だか儀礼的なものが感じられるが、故石川桂郎氏もそんなことを書いているのには怪訝な気持がした。会えば「おやじ! おやじ!」と喚き、いきなり抱きついて頰つぺたをべろべろ舐めるあの直情径行そのものの桂郎にして、と思つたが、どうやらそれは本音らしい。
 この一月、南風の四十五周年四百号の記念大会を了え、やれやれした途端、舌癌再発入院手術となつて、三月の初めに帰宅すると、拙著『四季蕭嘯』が「蛇笏賞」の候補になつていると聞いた。今までの受賞者は大結社の立派な先生方ばかりだから、わたくし如きが受賞するなんて間違つてもあり得ないと気にもしなかつたが、そのあり得ないことが起つたのだから、驚きを通り越してぼんやりしてしまつた。もつとも手術後流動食ばかりのうえに、舌を切り除られているのだから、もぬけの殻のように自分で自分がわからなくなるのも当り前。そのぼんやりした頭にも、わたくしがこの大賞を戴いてよろこんで下さるにちがいない二つの顔が泛かぶ。それはいつもわたくしの俳句を推挙して下さつた故角川源義氏と後を追うように亡くなつた石川桂郎氏の顔にほかならない。合掌。

選評(敬称略/50音順)

「感想」 飯田龍太

 ひと通り候補者について感想が述べられ、ふたたび山口草堂氏に話題がもどった。
 全句業を含む業績を対照に、ということであるが、草堂氏については、近著『四季蕭嘯』に関心が集中した。
 『四季蕭嘯』は、ながくきびしい句歴が重なる病羸にうちかつた句集であると思う。この一徹は見事の一語につきる。わけてもその自然調詠は、肉体の羸弱を超えてはればれした境をひらく。集中、特に私は、
  花合歓や遙かな風の音うつろふ
  戸障子に榾火の匂ひいつよりぞ
  涸れ滝の音より谺冴えにけり
  忘れ潮といふもをりをり冬日照り
の諸作に詩情の澄みと、それを支える強靭な詩精神をみる。あるいは、
  巌生ひの白縞とほる青すすき 
に確かな写実の眼を、乃至は、
  わが死後のとかくの噂いわし雲 
に句業ひとすじに生涯をとおしたひとの、ひそかな独白を聞く。
 卒直に云つて、草堂氏は、卓抜な表現技巧にめぐまれた才人ではないと思う。むしろそのような才智は、詩心の在り処をあやまらしめるもの、そう観じて慢心をいましめて来たひとであろう。齢を忘れさせる諷詠の若々しさはここに原因するのではないか。つまり、俳句の本流を見つづけてそこから眼をそらさなかつたひとである。

 



「自然の美」 沢木欣一

 句集『四季蕭嘯』は滋潤の内容である。こまやかで明るくうるおいに富んでいる。山口草堂氏は明治三十一年生れ、七十九歳の高齢であるが、いささかも老いの枯れを感じさせるところがない。生命力がのびのびと事物の隅々にまで行き渡つている。
 句集の巻頭と巻末に、
  郭公の己が谺を呼びにけり
  忘れ潮といふもをりをり冬日照り
の句が掲げられているが、この句が良い。郭公の心をゆさぶるような声に耳を澄ましている作者の自然への柔軟な対し方、冬日に照る忘れ潮には作者のとらえた自然の深奥の姿がうかがわれる。
 草堂さんは古くから水原秋櫻子の門下として自然に傾倒して来たが、一つの到達点をここに示したといつてよい。秋櫻子俳句の典雅流麗とはやや異なつた、沁み入るような自然観照、「細み」ともいうべき甘美さである。サッカリンのような嫌な味付けでなく、和三盆の如き上質な甘みである。
 草堂さんの俳歴は長い。なまなかの修練ではなかつた。しかも数度の大患を超えた氏には自然がますます美しく見えているに違いない。俳句をやつていても自然の美しさがほんとうに見える人は数少ない。氏は数少ない人の一人である。

 



「ゆるみない気凛」 野澤節子

『四季蕭嘯』を通して一貫しているものは、その詩精神のゆるみない気凜である。句材の幅も広いとはいえず、巧みを誇る作風ではない。しかし、通読したあとにまぎれもない山口草堂という人が厳然と彳つている。その印象は清冽にして眼光鋭く、しかも、どこかに爽やかな風が吹く。作品中、まず風の句の多いのに驚く。草城氏は風を最も嫌つたというが、草堂氏は風を好む作家らしい。
  きちきちに遅れて風の草の音
  行く秋の風に緊りて杉のこゑ
  枯荻の白穂ばかりに灘の風
 草堂氏の風は蕭嘯としてこころに聴く風音である。「行く秋の」の格調の高さは比類がない。こころ澄ませた句にも、止(とど)まることのない動きがかならず添つている。それが草堂作品にとした響を加え、力強い生気を漲らせているのであろう。
  猪鍋の隣室山の闇充つる
  養生の身の魂棚の奥うかがふ
  竜胆の瑠璃高原の空したたり
  径おのづから雑木林の昼の径
  邯鄲や酔余の昼寝泛くごとし
  涸滝の巌にからみて落つるかな
  小鳥らに雲の素通る雑木山
   (痛惜角川源義氏逝去、木曽末川にて)
  ふたたびの寝酒にかへす白枕
 好きな作品はきりがない。「径おのづから」と詠われた草堂氏の気は、近来にない清々しい風で私を洗い上げて下さつた。
 病後の御加餐を祈るや切である。

 



「気力の句集」 森 澄雄

「南風」四十五周年の記念の会ではじめて草堂氏にお会いした。
 その会で、会の進行に少しでも手順の遅延があると、すぐに誰かを呼んできびしく叱責されていた。来賓の長余談も亦同じ。そのやや気短かな気儘な八十翁の振舞いが爽やかでぼくには面白かった。
 若い時には肺結核で七年を病まれ、近来は舌癌に自内障の大患を克服して傘寿に達せられた。自ら「死に下手」といわれるが、以上の振舞いは年齢の達観と無私の自在と、気力の充溢がなければできないことだろう。八十翁といつたが、翁の様子はない。
『四季蕭嘯』はいよいよ気力の充実を加え、
  涸滝の岩にからみて落つるかな
  郭公の己が谺を呼びにけり
  忘れ潮といふもをりをり冬日照り
など、句は簡勁に、自然参奥の韻をつたえている。
  加餐を祈りたい。


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