鹿児島壽藏
今回の第二回迢空賞受賞は、私にとって過分のことですが、これを機として、先進諸家と辱知の方々に感謝し、あつく御礼を申上げます。
私は十五歳(大正二年)のころから短歌に親しんで来ました。そして五十五年を経ましたが、従来一度も賞というものを受けたことがありません。それというのも賞のかかった募集に参加したことがなく、また、世間並みの競い心のようなものも性格的に持ち合わせぬし、そうしたことの運動など全く無縁に過ごして来たのに拠りましょう。
今回の受賞は、そうした事柄とは無関係のことと思われますので、申し渡された通りに素直に迢空賞を拝受した次第であります。
年少にして作歌に入りましたので、作歌に対する信念とか態度とかは格別あったわけではありません。作歌をつづけているうちに好きになって今日に及びました。途中、何百何千回かスランプに堕ち、厚い壁にはばまれましたが、結局、これを捨て切れずに続けて来ました。一応の年齢に達するころ、「老」という言葉を用いた作品を作りましたが、それは勿論、世のひじりのような心境からではなくて、「歌のつね」に従ったようなものです。作歌を五十年以上も斯うして苦しみ苦しみ続けて来たのは、実は、若い気持から離れがたい未練の心があったためであろうかと思います。
実益の生活・職業としての生活から遠い、歌読みの立場は大袈裟に言えば世の無力者なのでしょう。しかるに、この厳しい精神生活に全力を尽くしているのは何故でしょうか。それは人間として生きてゆく証しのためかと思われます。己に生きる希いのためのようです。
私は自然に素直に作歌したいと思います。ただそれだけでも未だこなしきれませんので、短歌の上では、大それたことは口にしたくない気持です。ただ自己に生きうればいいと思って居ります。