石川不二子
私の恩師、佐佐木幸綱先生は、穏やかで敵を作るようなことはなさらなかったが、それでも苦手が、二人はおありだったと思う。一人は泉鏡花。樋口一葉の面影がある作中人物、名も“お夏”の和歌の師匠は、若くて不快な俗物である。もう一人が、釈迢空その人で、宣長以来の伊勢派歌学の大成者信綱と、変革者迢空が合わないのは是非もない。大恩ある信綱先生には申訳ないが、父が熱烈な鏡花ファンだった影響で、子供の頃からの愛読者。そのうえ鏡花の姪で養嗣子の名月さんとは同級生。迢空はむつかしいが、それでも奨学金が入るたびに全集を一冊ずつ買っていた。
角川書店の『短歌』創刊号は、釈迢空追悼号。異例のことであった。それまで競争誌のなかった『短歌研究』は、新人五十首詠募集をもって対抗した。それに応募せよ、と先生に命ぜられ、以来なんとなく私は歌よみの数に入ってしまった。のんびり、わがままにうたい続けて、伝統ある賞を頂くこととなり、恥ずかしい思いでいっぱいである。
信綱先生はじめ諸先輩、お世話になった方々に深く感謝申上げます。
「豊饒の両歌集」 岡野弘彦
今年の迢空賞は、それぞれ特色ある歌風を持った、二人の女流歌人の歌集に決定した。一つは石川不二子氏の『ゆきあひの空』、もう一つは河野裕子氏の『母系』である。
石川氏は骨格のたしかな、格調のある歌を詠む人だが、現代には珍しく歌集を編むことの少ない人でもある。今回の歌集も十年近く溜りにたまった歌の中から、意図をもってまとめられた、濃密な内容が感じられる。
ゆきあひの空の白雲 のど太く鳴く鶯もいつか絶えたり
夕月の照りそめてより近く来て声の激しきつくつくぼふし
これらの歌をふくむ、夫への挽歌の一連は集中の圧巻であり、共に激しく生きた夫の魂への、太ぶととして深い鎮魂の歌集となっていることが認められる。
河野氏の歌集『母系』はその名の示すように、癌を病んだ母の死と、同じく癌とたたかいながら生きる自分と、二代にわたる母性の生命の記録を歌った歌集である。歌人として早い頃に、母性とはその胎内に未来の死を孕むものであると言ったこの作者は、時に身の深奥からにじみ出す縄文期以来の地母神のような母系の力を、自由奔放に歌い出すことがあって、私どもを瞠目させた。この歌集ではその奔放さの奥に、沈潜した思いの深さがにじみ出して歌境の深まりを見せている。
ひのくれの耳のさびしさああ竹が葉を散らしゐる竹の葉の上に
風はなぜその木にだけは吹いてゐる絵の奥の細いゆりの木
今年の迢空賞に、それぞれ特色の豊かな両歌集を選出することを得たのは幸であった。更に言えば、日本の歌に伝統的に流れる母系のことばと魂の力を、現代の現実として改めて感じさせられた思いがする。
「作風が異なりどちらも感動的だ」 岡井 隆
石川不二子さん、河野裕子さん。ご受賞おめでたうございます。心よりお祝ひ申し上げます。
石川さんの『ゆきあひの空』は、夫君の死の前後の歌が鮮烈な印象をのこしました。大学を出てすぐ、夫と共に入植されて、牧場や農場で働かれてゐたころの作品を、長く読んで来ましたし、寺山修司と同じころ出発されたので中井英夫の顔なども想ひうかんで感慨はつきないものがあります。
病院の暁に息止まりゐし夫(つま)こそよけれ我もしかあれ
ある意味で、戦後のユートピア思想に殉じられたともいへる夫君の死の前後に数々の現実的で冷静な―――それでゐて万感をこめた歌を作られました。
私を見ながらたつぷり歌ふ四十雀ありがたう奥さんによろしく
河野裕子さんの『母系』には、二筋の糸が通つてゐます。一つは、ご自身の癌の再発と、それにもかかはらず、旺盛に続けられる作歌、そして家族や周辺の動植物に向かふときの生き生きとした関心のあらはれが、読者を励まします。
をんなの人に生まれて来たことは良かつたよ子供やあなたにミルク温める
たくさんの日曜日の向かうの日曜日立葵の花みにゆかむ
もう一つの糸は、この歌集の刊行直前に亡くなられたご母堂についての配慮であります。この二本の糸を、作者は、自在といつてもいいやうな口語調を使つて歌つてゐます。
あをぞらがぞろぞろ身体に入り来てそら見ろ家中(いへぢゆう)あをぞらだらけ
河野さんの歌の至り着いた場所を示す歌集ともいへます。
「実力派の二女流」 馬場あき子
同時受賞となった二歌集はそれぞれの個性の特有さに是非や上下がつけられぬものであった。石川不二子さんの『ゆきあひの空』は自然や動植物に同時代を生きる密度の濃い姿勢をみせてきた従来の方向に一つの転調をみせた歌集である。ここでは開拓農場以来の同志でもある夫君の病、老、死を看取る歌に力がある。結果として得たものは、人間の究極の孤独であった。剛直球のような言葉の背後に深い悲しみを秘めている歌や、簡素にして重厚な彫りをたたえた歌は石川さんの新展開の糸口をみるようでさえある。
言ふべからざることにはあれど夫の死をこひねがひゐしわれにあらぬか
骨箱の前よりおろし来し酒を厨に使ふ 許したまへよ
ほのぼのと霧ふる朝のこほろぎは野に鳴き部屋の内にても鳴く
また河野裕子さんの『母系』は自在な口語力に独自な雰囲気があり、一層こなれたソフトな文体を生んでいる。転移した癌とたたかう日々の中で、心を支え合ってきた母君の死までを看取らねばならなかった作品は痛哭の哀傷篇をなしている。初期から死と生のテーマに敏感だった作者だが、その言葉の窈然としたつづけがらは事柄の奥に潜む内面に錘鉛を下す鋭さをもち、特殊な感受力による出色の抒情表現をもっている。
まつ暗な竹の林のむかうにもまつ暗な竹たちが立ち月のない夜
寒いのは淋しいからだと午前二時風呂に蓋して亀のやうなり
この母に置いてゆかれるこの世にはそろりそろりと鳶(いちはつ)尾が咲く
「命・夫婦をうたう二歌集」 佐佐木幸綱
今年の迢空賞は、四人の選考委員の意見がおのずから一致するかたちでの二冊受賞となった。石川不二子『ゆきあひの空』、河野裕子『母系』、ともに「命のこと」「夫婦のこと」をうたっており、しかも持ち味がまったくちがう。二冊受賞が妥当だと思う。
『ゆきあひの空』は、夫の病気そして死、という作者にとっての人生の大事件を縦糸に、自然を生活にうたっている。思いの核心をストレートに歌にしている点が見どころだが、そのベースに自然も人事も、生も死も、同一地平上にあると見る大らかな世界観があることは見逃せない。
言ふべからざることにはあれど夫の死をこひねがひゐしわれにあらぬか
病院に泊まりこみ十日過ぎにけり猫に触つてゐないと思ふ
豪快に三時間昼寝したるのち潰れ大桃食べて又寝る
生も死も食欲も睡眠も、悲しみさえもが、ここでは普通のこととしてうたわれている。
『母系』は、癌の再発の不安を抱えた日々の中での、家族なかんずく夫と暮らす日々の生活、そして母の死を、ストレートにうたった歌集である。
美しく齢を取りたいと言ふ人をアホかと思ひ寝るまへも思ふ
このひとのこの世の時間の中にゐて額に額(ぬか)あてこの人に入る
栓抜きがうまく使へずあなたあなたと一人しか居ない家族を呼べり
これらの作に見られるように、口語が見事に使われていて、全力的にうたう作者の息遣いがそのまま伝わってくる。短歌の音楽を生かす生かし方において、卓抜な歌集と読んだ。