蛇笏賞・迢空賞

第59回「蛇笏賞」・「迢空賞」受賞作発表
  • 2025.04.18更新
    第59回「迢空賞」受賞作発表
  • 2025.04.18更新
    第59回「蛇笏賞」受賞作発表
蛇笏賞・迢空賞とは 設立のことば 受賞者一覧

受賞のことば・選評

第9回迢空賞受賞
『湧井』(角川書店刊)他
上田三四二
【受賞者略歴】
上田三四二(うえだ みよじ)
1923年(大正12年)7月21日、兵庫県加東郡生まれ。1948年、京都大学医学部卒業。翌年、京都大学前川内科入局。1950年、北原白秋系の「新月」入会。翌年、同人。1952年、国立京都療養所赴任。1954年、評論「異質への情熱」で第1回現代短歌評論賞受賞。1955年、第一歌集『黙契』刊行。1960年、医学博士。1961年、「斎藤茂吉論」で第4回群像新人文学賞[評論部門]受賞。同年8月、東京に転住、府中刑務所勤務。1962年8月、国立療養所東京病院転任、以後、清瀬に住む。1966年、大腸がんを患う。1968年、「佐渡玄冬」30首で第6回短歌研究賞。1974年6月、東京病院退職、清瀬上宮病院に勤務。1975年、『湧井』で第9回迢空賞。歌集はほかに『雉』。著書に、『現代歌人論』『無為について』『斎藤茂吉』『誌的思考の方法』『西行・実朝・良寛』『戦後短歌史』『眩暈を鎮めるもの』など。

受賞のことば

上田三四二

 九年前の今頃、すなわち、その晩春のころにまで自分というものを引戻してみると、そこから今日の私を想像することは、不可能に思われる。
 誰にだって一寸先は闇だが、そのとき、私は一寸先の闇にわが生の終りを見ていた。
 こんどの歌集はそういうところから始まって、踏み出す足が、何か目にみえぬものの導きによってあやうく死の淵を回避しえたと知った、その感謝と喜びに引き継がれている。
 歌集の九年間は私の四十代に当るが、それは私にとって働き盛りを意味しなかった。私はただ、「存命のよろこび」という語を両手に捧げもつようにして生きてきたと思う。そして意識の底には、ぃつでも、あのときをもって終っていたかもしれないもう一人の自分というものがあった。
 そういう私であるから、歌集を出すことができただけで心は足りているのに、加えて、大きな賞の恵みがその集に与えられるという。賞の性質を思えば、それが分に過ぎたものであることは分っている。文字通りの幸運とは、いまの私のような場合をいうのであろうが、それゆえにと言おうか、幸運は私に特別の感慨を運んでくれる。あの、死の淵から私を導いてくれたものが神の手であったとすれば、こんどの受賞に私を導いてくれたものは、いくつかの、目には見えないが親しい人たちの手だ、という感慨である。


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