蛇笏賞・迢空賞

第57回「蛇笏賞」・「迢空賞」受賞作発表
  • 2023.04.24更新
    第57回「迢空賞」受賞作発表
  • 2023.04.14更新
    第57回「蛇笏賞」受賞作発表
蛇笏賞・迢空賞とは 設立のことば 受賞者一覧

受賞のことば・選評

第9回迢空賞受賞
『湧井』(角川書店刊)他
上田三四二
【受賞者略歴】
上田三四二(うえだ みよじ)
大正12年7月21日兵庫県小野市に生まる。昭和23年京都大学医学部卒。つづいてインターン。24年京大前川内科に入局。昭和25年「新月」入会。翌年同人。昭和27年国立京都療養所に赴任。官舎に住む。昭和29年短歌研究新人賞評論の部に入選。昭和30年歌集『黙契』(新月短歌社)。31年評論集『現代歌人論』(短歌新聞)。昭和34年評論集『アララギの病歌人』(白玉書房)。35年医学博士。昭和36年6月群像新人賞評論の部受賞。8月東京に転住。府中刑務所勤務。昭和37年8月清瀬、東京病院に転任。以後清瀬に住み、『無為について』(白玉書房)、『斎藤茂吉』(筑摩書房)、『詩的思考の方法』(白玉書房)刊行。昭和41年年初佐渡療養所に出張。帰って病む。昭和42年歌集『雉』(白玉書房)刊行。「佐渡玄冬」により短歌研究賞受賞。48年『西行・実朝・良寬』(角川書店)。昭和49年6月東京病院退職。7月より清瀬上宮病院に勤務。『戦後短歌史』(三一書房)、『眩暈を鎮めるもの』(河出書房)刊行。昭和50年3月歌集『湧井』(角川書店)刊行。

受賞のことば

上田三四二

 九年前の今頃、すなわち、その晩春のころにまで自分というものを引戻してみると、そこから今日の私を想像することは、不可能に思われる。
 誰にだって一寸先は闇だが、そのとき、私は一寸先の闇にわが生の終りを見ていた。
 こんどの歌集はそういうところから始まって、踏み出す足が、何か目にみえぬものの導きによってあやうく死の淵を回避しえたと知った、その感謝と喜びに引き継がれている。
 歌集の九年間は私の四十代に当るが、それは私にとって働き盛りを意味しなかった。私はただ、「存命のよろこび」という語を両手に捧げもつようにして生きてきたと思う。そして意識の底には、ぃつでも、あのときをもって終っていたかもしれないもう一人の自分というものがあった。
 そういう私であるから、歌集を出すことができただけで心は足りているのに、加えて、大きな賞の恵みがその集に与えられるという。賞の性質を思えば、それが分に過ぎたものであることは分っている。文字通りの幸運とは、いまの私のような場合をいうのであろうが、それゆえにと言おうか、幸運は私に特別の感慨を運んでくれる。あの、死の淵から私を導いてくれたものが神の手であったとすれば、こんどの受賞に私を導いてくれたものは、いくつかの、目には見えないが親しい人たちの手だ、という感慨である。


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