上田三四二
九年前の今頃、すなわち、その晩春のころにまで自分というものを引戻してみると、そこから今日の私を想像することは、不可能に思われる。
誰にだって一寸先は闇だが、そのとき、私は一寸先の闇にわが生の終りを見ていた。
こんどの歌集はそういうところから始まって、踏み出す足が、何か目にみえぬものの導きによってあやうく死の淵を回避しえたと知った、その感謝と喜びに引き継がれている。
歌集の九年間は私の四十代に当るが、それは私にとって働き盛りを意味しなかった。私はただ、「存命のよろこび」という語を両手に捧げもつようにして生きてきたと思う。そして意識の底には、ぃつでも、あのときをもって終っていたかもしれないもう一人の自分というものがあった。
そういう私であるから、歌集を出すことができただけで心は足りているのに、加えて、大きな賞の恵みがその集に与えられるという。賞の性質を思えば、それが分に過ぎたものであることは分っている。文字通りの幸運とは、いまの私のような場合をいうのであろうが、それゆえにと言おうか、幸運は私に特別の感慨を運んでくれる。あの、死の淵から私を導いてくれたものが神の手であったとすれば、こんどの受賞に私を導いてくれたものは、いくつかの、目には見えないが親しい人たちの手だ、という感慨である。